新太閤記 1-4 雑感

 海音寺潮五郎による豊臣秀吉の一代記。
 豊臣秀吉――器量悪しく「猿」と揶揄われる百姓の子・与助が織田家に奉公し、手柄を立ててどんどん出世し、有数の大名となり、ついには関白になりおおせ日本統一を成し遂げ、そして耄碌して破壊的な過ちを犯し死んでいった稀有な英雄について語られます。
 海音寺作品はおそらく初読ですが、良くも悪くも非常に読みやすかったです。
 変な言い方になりますが、自分がイメージしていた大衆向けの時代小説の典型だなという読後感でしたね。
 ざっくばらんな講談調でわかりやすく描写し、英雄の言動にそれなりに理屈をつけて現代にも通じるような箴言をイイ感じに挟んでみる――という具合。ざっくばらんさは本当にいいのかなというぐらいに言葉が適当です。現代語のカタカナを使うのがダメとは言いませんが、雰囲気を壊すので気を付けて使うとかそんな心遣いはありません。

 人もあろうに、あんなに信長の世話になり、一時はあんなに信長に感謝していた将軍義昭が、信長の存在をがまんならない圧迫として憎み立て、ひそかに糸を引いて、アンチ織田勢力の結集をはかりはじめたのである。
 (海音寺潮五郎.新太閤記(二)(角川文庫)(Kindleの位置No.3869-3871))

 言うに事欠いてアンチ!
 確かにわかりやすい、わかりやすいのですが、そうじゃないんだと思ったり、思わなかったり。
 箴言もまた良しあしで、下手なものだとその命がけのふるまいをそう要約されるのかと興覚めになることがありました。

 別所氏の離反と抵抗は、秀吉の大厄難であったが、こうして平定してみると、秀吉は大はばな成長をしていることがわかった。信長の覚えは一層よくなった。今や彼の地位は、明智光秀を相当にしのぎ、丹羽長秀すらいくらかしのぎ、もはや彼の上位には柴田勝家がいるだけであった。
 秀吉はそれをはっきりと感じた。
 男の大難とは、常にこのようなものなのである。一難を越えるごとに、成長して行くのであり、その成長は難の程度に正比例するのである。
  (海音寺潮五郎.新太閤記(三)(角川文庫)(p.84).)

 そうですか・・・と。
 ただわかりやすさは正義で、そのため視点人物の秀吉にぐっと惹きつけられ、織田信長に才覚で取り入り織田家で出世していくレースに一喜一憂し、織田信長が死んでからは誰も成し遂げられなかった天下統一の過程に手に汗を握り、老いて才覚が鈍ってしまって若い時には考えられないふるまいに対する嘆き、といった感情は強くなりましたし、一気に読み進める原動力にはなりましたね。
 こういった小説のとばぐちにはきっといいんじゃないでしょうか。


 以上。好みじゃなかったです。

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