神子上典膳は必ず現われる、如何なるときであろうとも、如何なる窮地であろうとも。
谷の向こうにすっくと立った典膳が、黒い長羽織を大きくはためかせるようにして肩に羽織る。 追手を挑発するかのようなけれんであった。
助けを求める子供と女を何があっても、どれだけ傷ついても救う侍――"神子上典膳"。本作では最強と称させる黒衣のサムライの活躍を縦横無尽に語っています。
形式だけ見れば、いわゆる一つのチャンバラ時代劇、よくあるサムライ活劇です。
しかし悪を撃ち衆生を救う――正義の味方の或る在り方に関して只管に煮詰めに煮詰めて描写した結果、そこまで長くない頁において、一人の男の魂を形になす仕業へ見事に届いています。
正義、悪――割り切れぬ嘆き。その呻き、泥の中を答えのないまま這いずる軌跡は心打つものでした。
読んでいて終始、奥底から発せられる暗い熱にあてられます。その熱にせかされ、ページをめくる手を止めることが出来ませんでした。
そして描写する文章は端的で巧み。
典膳は蔵人に向かって歩み寄った。静かな微笑を湛えた目で彼を見つめる。
蔵人は剣を抜いた。
「約定通り、決着を」
などなど格好良い武張りや殺陣の外連味はもちろんのこと、何気ない日常や心情描写さえ飽きさせません。
以上、流石月村了衛。天下一品でした。
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神子上典膳 (講談社文庫)
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