光圀伝 雑感

 水戸徳川家第2代当主・光圀の一生を書いた時代小説。

 歴史を取り上げた小説は作者の解釈が試されます。
 時代の流れや出来事は既に決まっており、都合よく動かすことは出来ません。
 その上で実在した人物がどう考えて、どう動いて、そしてどう死んだかを、まるでそうあったかのように噺をする。史観と妥当さと辻褄合わせが巧く組み合わさった時、その文章は生きた人間を書いたという他のジャンルではあまり得られない質感を帯びることになります。

 本書は、光圀の義が中心となります。
 文武に長けた虎のような男と描写される光圀は史実としていずれ当主になるのですが、「何故長男ではない自分」が選ばれたのかが屈託として淀んでいきます。快男児っぷりを見せながら、その奥底ではぐるぐると暗いものが渦巻いている姿が前半です。
 義/社会の中でどう生きるべきかの指針、それに悩み、悩んで自分が出した答えが正しいのかまた悩む。その道が判らない苦難の在り方は冲方丁さんの筆致と極めて合っていました。
 その悩む光圀の周りに現れて、時間を共にする人物たちの書き方がまた上手い。

「不義の男が、お前を儒臣として遇してやる。だから方策を考えろとは言わぬ。もし、いつか不義の男が道を見出したとき、その是非を判断しろ」 
  (光圀伝 電子特別版(上)(角川書店単行本)(Kindleの位置No.4375-4376))

 義を判断する反骨の博識の者。

「いかがですか。わたくしを、おわかり下さいましたか」
 姫がにこやかに訊いた。
「さっぱりわからぬ」
 光國はあえて正直に言った。
「噓ばっかり」
 あっさり否定された。
  (光圀伝 電子特別版 (中)(角川書店単行本)(Kindleの位置No.2231-2233))

 一風変わって、しかし見出した義を為せるという得難い伴侶。
 などなど、共に人生を過ごす――話し、関わり、影響し合う、大事なひとびと。
 そうした人と知り合い、自分を磨き、なにもかもを得ていき、輝いていくのが――青春時代です。

 しかし儘ならぬ愛別離苦もやはり人の一生で。
 ふとしたことで、手から零れ落ちていくようになっていきます。
 義を共に為そうとした者が先に逝ってしまう悲哀と、それでも新たに局面を切り開いていく老いてなお盛んな活力。
 光圀は自らが見出した義を貫いていきます。
 ただし社会の変遷と人の心の変遷もあり、光圀が見出した義は、当然の如く限界がある、というのが晩期。
 ここがうつりゆく人生を書く書き方の妙で、義はその時代に生きている人間にとっての道であり、今そこに生きている人間が、そして社会が変わっていけばまた見え方がかわってきますし、別の人間が全く異なる義を持ち出してくることもあります。
 最後の最後に光圀の義が試されて本作は終わりが近づきまくのです。
 試すのは、同時代の思想と、未来の観点から歴史として見た評価。
 そうして成程と、膝をついて読み終えることになります。光圀の一生を書いた小説として、本当に正しい書きっぷりだったかと。

 最後に。
 知のダイナミズムの書き方もやっぱり上手いなあと感嘆しました。漢文、詩、史書などへの向き合い方があまりにも魅力的であり、それに没頭する姿には羨ましくなるぐらいでした。


 以上。非常に良い時代小説でした。傑作かと。

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光圀伝 角川文庫合本版

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