潮が舞い子が舞い 8 雑感

 海辺の田舎町の高校生たちの群像劇も早8巻目。
 1~5巻までの感想で述べたような、等身大の高校生たちが喋り合う時間の切り取りの巧みさは衰えを見せず、むしろより深化を見せて行っています。
 どうしてあんなことで騒げたのだろうか、そんなことで長い時間言い合えたのだろうか――という学生の特権の行使が実に眩い。
 毎回毎回発売日に購入して悶えているのですが、この8巻目ではクリティカルを、しかも2発も喰らってしまったのですよ。

 ひとつは、空き教室のソファで女子高生2人が本をだらだら読む第81話。

 kindle No.48)

 髪を弄ったり、膝枕したり、足を膝の上に投げ出したりしながら駄弁り、そして背後には風にたなびくカーテン。
 話す内容はあとには残らない言葉のやり取りで、でも今2人だけでいる――2人以外誰もいない空間の止まったような時間の描き方が本当に素晴らしかった。
 勝手に痛切に思ってしまう、どうでもよいことのかけがえのなさに溢れていました。


 そしてもう一つは、幼馴染の物語。
 水木と百々瀬について。
 これまた前の感想で"世話焼きで騒がしい水木と幼いころからの付き合いでちょくちょく周りに冷やかされ嫌な顔をする百々瀬だけど、2人になった時の空気や阿吽の呼吸は誰にも真似出来ない――という感じで幼馴染度が激高"と書いたのですが、収録された最後の話で気心の知れた幼馴染の間柄がほんの少しだけ変わるかもしれない自覚がもたらされるのです。
 これまでの友人とは違う新しいグループで遊びにいく予定があったけれども水木がバイトで行けなくなり、百々瀬だけが予定通り遊びに参加するかどうかというやり取り。その会話の帰結としてある欲が自覚されるのですが、ここで会話だけで気づきを得られるのがむちゃくちゃぐっときました。
 遊びに行った姿を見てではなく、もはやこれから本当に遊びに行ってしまうかどうかは関係がなくなって、きちんと話し合っただけでたどり着いた少年の答え。
 それを読めることの喜びよ。これぞ『潮が舞い子が舞い』だ――というよくわからない充足を得た次第です。


 以上。もしも未読の人がいたら是非一読を。ちょうお薦め。

  • Link

 

 <既巻感想>
  潮が舞い子が舞い 1-5 雑感