「僕」はコヴェントリー大聖堂を再建させるプロジェクトの一環として焼失された主教の鳥株の行方を突き止めるため1940年の英国に何度も何度も時間旅行を繰り返していた。
結果として精神を消耗させ、休養とちょっとした役割のため、今度はいと平和なるヴィクトリア朝に送り出される。
そこで「僕」はボート旅行の道連れとなる気の良い男と一匹の犬、そして類まれなる美女に出会う――
という出だしのSF小説。
大きく分けるならタイムトラベル物となりますが、優れた手付きでジャンルを横断するエンタメ小説の快作でした。
まずSFとして。
本作の時間旅行には制限があります。過去の物品を未来に持ち込めない、修正の緩衝を超えて歴史を変動させる時空には近寄れもしない、歴史に齟齬が起きた場合は時間移動にその程度に応じた誤差が起きる、etc。
その上で、全くの平和な時間が流れている筈のヴィクトリア朝の英国を舞台に起きてしまった人類とひいては宇宙を揺るがす大事件は何か、そしてどのように解決すればよいのか。
あるいはそもそもの物語の発端となった「主教の鳥株がどこに消えたか」というミステリ的な謎。
わけのわからないことが多く、また不運が多く、物語が進むにつれ、因果の糸がこんがらがり、見当違いの誤りが積み重なっていき、にっちもさっちもいかないように見えていきます。
要は実のところタイムトラベルを扱う際に問題となるオーソドックスなネタなのですが、パズルとして非常に良く出来ていました。
あと猫が出てきて可愛いSFは傑作説。
次にユーモア小説として。
序盤は男三人と犬一匹のボートで川を上る珍道中、中盤はトシーという少女をCから始まる男と結婚させようというドタバタ。
すれ違い、勘違い、天丼ネタ、適切かつ不適切な引用ネタなどなどでにやにやさせることしきり。
序盤の下敷きになった『ボートの三人男』は喜劇小説として大傑作なのですが、それに劣らない品の良い笑いを提供してくれます。
そしてラブコメ。
主人公は冴えない学生、ヒロインはクリスティとセイヤーズを好むミステリおたくの美女。
本作にはタイムラグと言う設定があり、時間移動を何度も繰り返すと酩酊し、耳に入る言葉は都合よく置換され、目に入るものに詩的な言葉を垂れ流す感激屋になります。
これが一目惚れ同士のラブコメとして、ほんと楽しいものとなっていました。
不吉な沈黙につづいてドアが開き、そしてそこに、これまでの人生で見た中でもっとも美しい生きものが顕現した。
(上巻、(Kindleの位置No.574-575))
と男はひたすらにのぼせ上がり、
「フェアじゃないわ」
「なにが?」と用心深く訊ねた。
「あなたのかんかん帽。そのせいでピーター・ウィムジー卿そっくりに見えるもの。とくに、そうやって目深にかぶってると」ヴェリティが芝生のほうに歩き出した。
(下巻、(Kindleの位置No.304-307))
「そのほうがいいかもね」ヴェリティは片手をひたいにあてて、「昨日ボートの上でしゃべったことをちょっと思い出してきたんだけど」と顔を伏せ、「ピーター・ウィムジー卿とあなたの帽子についてべらべらまくしたてたのは、あれはタイムラグとホルモンバランスのせいで、なにもわたしは──」
(下巻、(Kindleの位置No.575-578))
女はすまし顔の奥をべらべらと喋ってしまったことに赤面します。
これぞラブコメの剛速球。
加えて、ヴィクトリア朝時代で若い男女がなかなか二人っきりになれないじれったさと、束の間の逢瀬で交わされる如何にして時間を正しいものに戻すかという即物的な会話の間に挟まれる恋愛模様に身悶えしました。
セイヤーズの小説に絡めた愛の告白まで含め、最初から最後まで最高の一言。
以上。面白かったです。お気に入りの一作となりました。ウィリス作品の短編にこういうラブコメ系があるみたいなので追っかけます。
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