まほり 雑感

 少年・淳は山深い渓流で自分の眼を物ともせず小用を足す奇妙な少女に出会う。彼女は山向こうの隔絶された集落に住み周りからは"馬鹿"と称される出だったが、興味を惹かれた淳は少女の正体を探ろうとする。
 勝山裕は社会学を志し大学院入試を間近に控えた大学生だったが、偶々縁の出来た遠く離れた故郷の同郷から「二重丸のお札」が随所に貼られた謎を追っていくと怖ろしいお堂に当たったという奇妙な話を聞き取った。そのお堂と二重丸のお札が亡くなった母の出自に関係するかもしれないと推測した裕は、フィールドワーク目的に久々に帰郷する。
 それぞれの年次も目的も違った淳と裕の探索はいつしか結びついていく――

 
 現代日本を舞台にし、民俗学を取り上げた長編ミステリ。
 大傑作『図書館の魔女』(自分の感想)を物にした作者の最新作です。心して読んだのですがその期待に十分に応えてくれました。
 『図書館の魔女』およびその続巻の魅力の一つに、文の解読の妙がありました。その文は暗号めいていたり何気なかったりして、例えば「不用被奸騙。乞到/院來」という描き残された文章の読解、あるいは「こんなに嵐がひどくなると知りたらましかば……」という馬方がこぼした言葉の読取――そこで起こるダイナミックな論理の展開は心地良い知的興奮を呼び覚ますものでした。美しく織り込まれた暗号というのはそれだけでも見事な芸なのですが、その文の解読で世界の観方が一変する術は当代きっての逸物と言いたいところ。
 その一作の至芸であれば奇跡を垣間見ただけになってしまうのですが、最新作たる本作においても"文解き"が重要な役割を果たすのでこれはもう作者の芸風として確かにあるのでしょう。稀有な才が今後も発揮されていくのを祈りたいですが――それは兎も角として本作「まほり」について触れていきましょう。

 およそ言葉というものは、欠けるにしても足されるにしても、形が変わるのに必ず動機を必要とする。なぜなら、放っておいたら勝手には変わらないというのが言葉のかなり重要な機能の一つだからだ。
    (まほり(角川書店単行本)(Kindleの位置No.4193-4195))

 追い求める謎は、随所で貼られている二重丸/蛇の目の紋の起源、あるいは故郷のこんぴらさん琴平神社と蛇の目の紋の関係。
 そして今、嘗て琴平神社に合祀されるのを拒否した神社の影響がある地で少女に何が起ころうとしているのか。
 主人公たちは歴史を紐解くため、資料の探索と整理に溺れていくことになります。
 まずもって膨大な中から関係のありそうな資料をどうやって探すのか、そして記された内容と記した時代との時差から来る認識の調整、あるいは記された時からの/その文書が残されたことの/主人公が取り上げたことの恣意性を承知した上での理解。
 そのフィールドワークはやがて"ある単語の表記ゆれ"へと辿り着く。
 これですよ、これ!!!
 複雑怪奇な出来事が、膨大な時間と記録が、すっと綺麗に並べられるその瞬間。美しいと、そう思いました。

 こういう過去の歴史を追う部類だと現代パートが弱くなることもあるんですが、過去の紐解きが現代をきちんと切っておりきちんとした連携を為していました。そしてミステリの解決によって長期的と短期的な歴史と比して起こりそうだったこと/起こらなかったことがどの様に解釈しうるかで複雑な余韻があり、これまでの方法論の延長線上にあった物語の締めも見事だったかと。


 以上。第一作が化け物のような傑作なので比べると流石に分が悪いですが、本作も素晴らしい出来でした。次回作以降も何年も待ちます。
 


 落穂拾い。
 大学生パートのヒロインの書きっぷりについては・・・まあ個人的にはありです。久々にあったら垢ぬけた美女になっていた司書の同級生で、方言が偶に出るのがキュートで、山登りにはおばあちゃんが用意してくれた胡瓜とどでかいおにぎりを持ってくる豪放さも兼ね備えている。ええ、好きですよ。

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まほり (角川書店単行本)

まほり (角川書店単行本)