ifの世界線 改変歴史SFアンソロジー 雑感

 日本人作者たちによる改変歴史SFアンソロジー
 石川宗生、宮内悠介、斜線堂有紀、小川一水、伴名練と並べるとどこの早川や創元なのですが、なんとも驚きの小説現代に載ってからの講談社タイガでの文庫化でした。出版社が偏らないのは多様性があっていいことです。

 まず残念というか勿体ないと感じたことから述べ始めてしまいましょうか。
 巻頭や巻末になぜこのアンソロジーを編んだのかという文章が欲しかったですね。短編書き下ろしという性格上選んだ過程は書けないでしょうし、編集者主導であれば出張りにくいのでしょうが、どうしてそのテーマで編んだのかに言及することでアンソロジストの嗜好が漏れるのが好きなので。

 さてそれは兎も角として、5編全てレベルの高い短編でした。
 ナポリ近くの町で踊りまくる奇病が流行った歴史の一コマを書く「うたう蜘蛛」、
 1965年に既にSNSが流行っていた日本で開高健がジコセキニンと糾弾されるに至った謎を書く「パニック――一九六五のSNS」、
 どうにも違和感がある江戸の描写と玉川上水の描写からあれよあれよと壮大なオルタナティブヒストリーを垣間見させる「大江戸石廓突破仕留」、
 周回させられるジャンヌ・ダルクという冒涜が辿り着く先を書いた「二〇〇〇一周目のジャンヌ」。
 どれもこれも改変歴史物の面白み――"偽史を書いた上で何が現実と変わっていたのか解き明かす""現実とあるポイントだけが変わってどんな異なる歴史が編まれていくのか"を存分に味わえました。

 ただ自分の好みに最も当てはまったのは「一一六二のlovin' life」です。
 一一六二年という漢字表記と英単語というなんだそれという単語の組み合わせなのですが、これこそが本作が歴史についてウソになります。この作品での平安時代は和歌を大和言葉で詠んだら“詠訳”もしなくてはらない、と。
 その設定から和歌の翻訳という作業を通して女性同士の交流を書く百合へと発展していくのです。
 本来ならその時代に英訳されるはずがなかった和歌が英訳されることで、その翻訳によって隠されて秘められた想いがあった――。歴史改変というSFの手法によって思いもよらぬ心を産みだした、美しい手つきの短編でした。


 以上。良い企画物でした。今後も質の高いアンソロジーが増えていきますように。

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