「――江戸川」怯える彼に僕は言った。「学校でさ、屋上に一人でいるだろ。そこにゾンビが来るんだ。テロリストとかでもいいや。無事なのは、おまえ一人――わかるな」
(中略)
「そうか――今が、今が、その時、なんだね?」「そうだ。今が、その時だ」
江戸川が問い、僕は応えた。
(P79-80)
夏休みに高校のクラスメートたちとレクリエーションに赴いた孤島でゾンビに襲われた――
そんな、どうしようもないほどオブザデッド・マニアックス/ゾンビマニアの“夢”をコテコテに書ききった作品です。日常におけるクラス内の絶対的なカーストと、非日常での崩壊と上位と下位の地位の入れ替わりを書くのもお約束であり、当然のように最後まで貫きます。
直前まで罵倒されていたクラス一のパッキンの美少女と共に逃げまわり、ゾンビたちが群がってくるのを今までゾンビ物から仕入れた知識でかいくぐり、孤島を村を車で走り抜けて、唯一あるショッピングモールに逃げ込み、しっかり者の委員長とともにクラスメートたちを指導する――
実に、甘美で、夢のようで。
それを書ききっただけでも良いのに、更に上手かったのはずらし方でした。主人公はゾンビ映画好きなだけであり、体力もなく、専門技能もありません。だからこそ実の所、脳内妄想の具現に歓喜しつつ、その現実に適応できずに脳内妄想をして右往左往するばかりであり、真に非日常で活躍するのは他の人達です。しかし右往左往して、七転八倒して、自分の夢の具現から離れていく内に、凡人なりの筋の通しようが生まれ、妄想/物語との折り合いをつけるようになります。確かに夢の具現/非日常/物語の中で、かつて在った現実を肯定する――それもまた類似多数です。しかし判りやすさを判りやすく書ける筆致により王道をずらした過程を現すことで、陳腐なヒロイックにオチず、よそで物語が進んで行く置いてきぼり感を生じさせず、2010年を超えてもなお新たかな今此処にある少年物となっていました。オチも爽やかでいい感じです。
作品内で展開されるゾンビトークはディープ過ぎず生半可な知識の人にも受け入れやすいです。そこかしこにパロネタを入れているのもらしいっちゃらしい作品の在り方です。
以上、面白かったです。ゾンビが来襲と書いて男の子の夢と読む人にお薦め。
- Link