幻象機械 感想

 主人公は日本人の左右の大脳半球の機能の混在を計測する研究を通して、人間の脳の信号の刺激から"場"を形成し中枢の無いコンピュータを作ろうとするするプロジェクトの発案者だった。彼は死んだ父親の部屋に置いてあった文芸同人誌に掲載されていた『父の杖』という小説に興味をひかれ調べていくようになった。それは石川啄木による幻の小説であり、調べていくうちに日本人特有の謎が浮かび上がってくるのだった――


 という感じの粗筋。
 石川啄木と日本人と脳との三題噺なのですが、物凄い曲芸を披露します。
 何故石川啄木は同時代にはそこまで人気がなかったのに、後に日本人の感性を掴んだ国民的な詩人となったのか?
 何故"まだ人の足あとつかぬ森林に入りて見出でつ白き骨こつども""夜の空の黒きが故に黒といふ色を怖れぬ死の色かとも"などの不気味な詩を詠んだのか?
 何故日本人だけが感情音・自然の音をロゴスの左脳で処理するのか?
 あらぬ方面から石川啄木が掘り起こされ、あらぬ方向から日本人らしさがざくざくと解体されていくのは驚きの一言。そこでそれとあれを繋げるのか、まじか!と叫ぶぐらいに、脳と「 」とを補助線に綱渡りしていきます。魔術師とも詐欺師ともとれるそのSFを書く手腕は脱帽です。
 作者特有の"いわゆるゲシュタルト崩壊"と"いわゆるプレコックス感"もばっちりきまっていました。
 "いわゆるゲシュタルト崩壊"――ここでは意味の剥落を意味します。今まで日本人として好んでいたものが、ただそれそのものとして認識してしまうというおぞましさ。

 朝日が昇りかけている。築山にも、生垣にも、橋にも、陽が射していた。庭園が一様に薄赤く染まっている。いたるところに配された立石も、赤く染まり、水面に長い影を曳いていた。それが茸のように見えた。影がじわじわと延び、無数の粘菌を押しあげていって、それがしだいに柄になり、傘になっていくのだ……それはまったくグロテスクでさえあった。
  (P29)

 上記は日本庭園の描写なのですが、卑近な人間の三人称視点から意味が落ちた描写が頻出することで、段々とその認識が間違っているのか正しいのかがあいまいになっていきます。本当にどうしてそれを日本的と捉えるのかが解らなくなる描写として成功しているでしょう。
 "いわゆるプレコックス感"――ネタバレになるので詳しくは触れぬのですが、目の前の人間が言動により"人の形をしたナニカ"としてしか捉えられなくなる雰囲気をきちんと出していました。
 この二つの独特な要素により『日本人的な物の崩壊』という困難な達成を遂げたのだと思いますね。
 そして、立地点がなくなり、認識が曖昧になり、目の前の風景は情報の羅列となり、そうした至芸を見せた詰まりとしての着地はあまりにもあっさりとしたものでした。あくがなく、物足りないぼんやりとしていると言ってもいいかもしれません。破壊までしておきながら、戦いはこれからですかい!、と。
 でもまあ、"全く、新しくならむとしてゐる"、その先はきっと、悪くないと信じたいものです。

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