『キミへ贈る、ソラの花』 感想

 初めに注意を。
 以下の文章は容赦なくポエムですので、そこのところを考慮してお読みください。読まないのも手かもしれません。




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 季節は夏、受験生の主人公は街頭に冬服を着込み立っている少女を見つける。見つけられた彼女も、

 【???】「見つけた!」

 嬉しそうに笑う。そして彼女は幽霊が見える少年少女を集めた学園へと、主人公を招待する――
 

 本作はこんな詩的なボーイミーツガールの冒頭で始まる、幽霊と幽霊が見える少年少女とに纏わる物語です。

  • 幽霊の物語

 まずは本作における幽霊の因子から。
  ・肉体を持たない精神的な存在でありながら、物質に介入出来る。所謂『二元論の幽霊』。
  ・強い未練を残して死んだ人間が幽霊になるが、基本的に過去は忘れている。
  ・未練が解消されれば消える。
  ・未練が怨みになれば悪霊となる。
 そんな幽霊が闊歩する世界で、幽霊と幽霊を見える人を集めた舞台が作られ、幽霊に関して純化した状況で、人と幽霊は試されていきます。
 人サイドからは、(1)"見える"とはどういうことか、(2)"見えて"どう行動するか、(3)見えない者はどう思うのか、と問われます。


 "見える"/見えてしまうことは、通常の人間の感性からは極めて苦しい行為とされます。悪霊なら本来知覚しえない筈の悪影響を及ぼされ、複雑な思考のとれない悪気の無い幽霊からは幽霊側へと引きずり込まれそうになり、コミュニケーションがとれる幽霊とは半端に通常の人間に近いからこそ言語コミュニケーション以上が取れないことに対して認識の分裂が生じて嫌悪を憶えます。そして幽霊ならではの"跡形も無い消失"という非物理的な転機が突如として訪れることは受け入れがたく、悪霊となると容易にこれまでとは違った行為を取れるようになる思考回路も否認の対象です。しかし見えてしまい、見えない振りを出来ません。この見えない振りを出来ない――のが嫌らしい所で、見えない振りをして物語のルールから外れたら、適応障害が強度の抑鬱へと転じて物語が答えを出さずに強制的に閉じてしまいます。
 答えを出そうという意思の尊くまばゆさを語ろうというのでしょうが、出させようとする為のお膳立てが超厳しい。この葛藤に対する容赦の無い七転八倒ぶりが本作の一つの見所となっています。
 ヒロインの名前を出すなら西岡奏菜。包容力のある大食い・・・・・・と言うと、何かデブい印象に成ってしまいますが、そうなのだからしょうがない。彼女の笑顔が心からであらんことを。


 では"見える"人間であることを受け入れたは良い物の、どう行動するのかも悩み所で。
 この悩みに対応するヒロインが南須原雛菊となります。既に幽霊と人間は相容れないと答えを出し、幽霊を払う霊感少女として活躍しています。その答えが正しいのかが叩きまくられて強度を確かめられます。幽霊によっては人間と同じようにコミュニケーション出来ちゃうよーと同年代の共感を根底に優しくしておいて、でもやっぱ突然悪霊になって襲っちゃうよねーと"見える"ことを受け入れた土台の認識を揺るがすようにぶちのめしてきます。
 揺れ動いて再度答えを決める手助けとして主人公が役立つのですが、上手く行く場合は至極まともなので問題有りません。ツンツン少女が強度を減らし、柔軟度を増し、魅力的にデレるのを堪能すれば良いのです。"上手く行かなかった"場合になる経緯が本当にいやらしい。主人公が幽霊サイドからも対応し、人間サイドからも対応するという、両方の側に寄り添って行動する一見良さそうに見える選択をした時にそうなるのです。逆に言えば、答えを出すまでは幽霊側から行動しないことが正しい、となります。これは他のルートでも同様であり、どう考えてどう動くのかの土台となる立場を決めるのがかなり重要視されています。


 そして見えない者はどう思うのかは義妹の中條杏が受け持ちます。敬愛している兄が自分では理解不能であり、遠くに行ってしまいそうである、さあどうするのか――。つまりここでは幽霊や見えることそのものがメインでは無く、義妹がどう考えて、どうしたかが中心となります。まあここらへんは個別ケースと言うことで、そこまで深くは追求されません。単に素直クールな義妹に萌えれば良いかと。


 それでは幽霊サイドからは何が問われるのか。死んで終わった幽霊が何をするのか、生きている人間にどう影響を及ぼすのか、そもそも何故居るのか――ひっくるめてシンプルに言えば、幽霊としての存在意義が問われます。
 いじめで自殺した北尾雪花ルートは他の幽霊も他の人も拒絶されるので、影響因子の少ないケースレポートとして機能していました。『いじめの末の自殺』として終わった筈のお話のとどのつまりとして在った雪花が理解してくれるという主人公に出会い、生前をやり直す機会が目の前に提出されてしまった。そこからどう閉じるのか、どう開くのか。これはぶっちゃけよくある二者択一なので、個別例の一つとして冷静に見れてしまい、そこまで緊迫感がある選択ではありませんでした。
 人間が好きで、幽霊とも仲が良いというより大きな関係性の中に居る幽霊・東瀬まつりこそが幽霊側では最も重要な役割を果たします。幽霊として産まれることになった原因である"未練"をどう扱うかにおいてもそうなのですが、よりプリミティブに幽霊の本質へと迫ります。具体的には、仮初めの受肉によって。
 “一度肉体を無くし純化した『二元論の幽霊』が再び肉体を得たら、どう変質するのか?”
 この思考実験というか、試練が本当に厳しい。

【まつり】「生きてるって、どういうことか・・・・・・ずっと忘れてた。」

 ここのおける決断への過程の思考回路こそが幽霊と人間とが交わった最も輝けるもの――『生』だと思います。
 少なくとも、今まで散々人間が幽霊とどう関わるのか悩み、幽霊が人間とどう関わるのか悩んできたのも又悪くない――そう思える程には綺麗ではありました。

 
 そんなこんなで幽霊と幽霊が見える人とで何が起こるのかのシミュレーション物として、素晴らしい傑作でした。
 翠の海 雑感で様々なルートを重ねた上でプリミティブな問題にぶち当たる物語展開が素晴らしかったと述べたのですが、その手腕がより洗練されていましたね。シチュエーションを組み立てるのが上手くなっているのに加えて、シチュエーション外へ出る場合の終え方の苛烈さがこなれてきたように思えます。


  • 物語の幽霊

 また物語が終わることへの意識が垣間見える所が興味深かったです。明文化されませんが、"死が終わり"ではないことに対して色濃い恐怖を感じました。良きも悪きも死によって人生という物語は終わるはずなのに、幽霊になることで意味なくロスタイムが続いてしまい、どこか箍が外れてしまう。それが――気持ち悪い、嫌だ、と。
 ではどう納めるのか――は本作においてENDで実践され、これからも実践されていくのでしょう。
 この終わりへの意識をとっても、本当に"幽霊"という題材が世界を生み出した作り手に合っていましたね。

  • その他の要素

 絵はそこそこ美麗です。一枚絵で時々構図がおかしい気もしますが、全体的には悪くありません。
 声・音楽・エロは普通かと。
 全てクリアしたらextraから入れるグランドエンドがあったり、お遊びのif(?)ルートがあったりという仕掛けがあるのは好きなので継続して欲しいですね。

  • まとめ

 以上。"成功した実験作"と評した前作から、作り手の本質は変わらず作品としての完成度が増していました。これからどのような作品を生み出していただけるのか、実に楽しみです。

  • Link

 OHP-Cabbit official web site