人類と、流浪の人型地球外生命体はゴジラに敗北し地球を喪った。太陽系外に居住を求め宇宙船に乗ったが、その移民も失敗に終わった。生き残るため彼らは地球へと戻る道を選び、船内時間で20年、地球時間で2万年後にゴジラと再び対峙する――
という出だし。
本作の基本路線はやはりディザスター物です。
遥かな力を持った未知なるもの=ゴジラの特性を解析し、その情報に則って倒す軍事行動をとる。その基盤となる原理は最初から論文化されており、その手足となるホバーやロボット・武器は開発済。現場には無能なトップがいない。シンプルな目的へ向けて、現場の変化に合わせて計画を修正する当然の臨機応変さをみせます。
用意周到に要素が配置された結果として展開は非常にテンポ良く進みます。
世界と設定の説明が済んでしまえば後は一直線。主人公の異様な――人間が失った原初の人間的な――熱意に引っ張られ、繰り広げられる対ゴジラ戦。
その映像は手が混んでいていて、なおかつ派手な演出で見応え充分。
90分程を走り抜ける良い映画ではあったのではないでしょうか。
本作のゴジラと、ゴジラへの向かい方は前半の世界と設定の説明で触れられるのですが、これまでのシリーズと比べものにならないほどシビアです。
曰く、人型生命体の文明が絶頂に至るときに現れる万物の敵。人間も、より発達した人型地球外生命体も襲われてしまえば遂には逃げ出すしかない絶対的な暴力。
安定している今を脅かすために襲来するゴジラではなく、もうすでに一度は勝利したゴジラへの対決。勝つしか道はなく、勝てば人類は住む場所も、同胞を持つ人類たる所以も取り戻せる――
極めて厳しいですが、その対峙のまとめ方は物語の筋道をはっきりさせる方法として巧みでした。
なお、ある種族が敗北した後に、どう絶望と向き合うか――というフィクションの一つに移民船物のSFがあります。
これまで数多く生み出されてきました。性質上往々にして敗北の色から始まるそれは、地球という揺りかごから飛び出して宇宙を股にかけるきざはしともなりえます。
例えば、かの古典的名作はこう謳い上げました。
Twenty years afterward, the remark didn’t seem funny.
――"Rescue Party" by Arthur C. Clarke
それは無邪気な人類賛歌。
しかし本作はそうはならず、20年にして再度宇宙から敗走しました。
地球から追い出されたことと、宇宙に孤独でいることで人間性は剥奪されました。
取り戻そうとするきっかけは、いまここに自分がいる、相手がそこにいるという怒り。
か細い怒りがどのような形でも人間性を人間に再びもたらすのか、それとも何もかもが絶望に閉ざされるのか。
人間そのものを語る物語が面白くないわけがなく。今後残る2作において、さらに非魅力的な物語に育っていくのではないでしょうか。
以上。見返すほど面白くはないですが、どういう結末を持ってくるか最後まで見届けたいと思います。
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