夜間飛行 感想

 ブエノスアイレスの空港で全てを統括する責任者の一夜と、発着する夜間便のそれぞれの道行を描く小説。
 磨き上げられて綺麗に修飾された散文で記される内容は独特の魅力がありました。
 形容するなら、静かで、つよい。
 大声でわざとらしくわめくのではないのですが、人が人としてそれぞれなりに芯の通った在り方で良い時も悪い時も一貫しているのを表していました。誰もが全く同じ様な仕事/労働/任務をするものではなく、内在する倫理も異なりますが、自らに課せられた責任を自らなりに果たそうとするのには違いないと。
 そうした働く描写が鮮明に書かれているを読み、職業小説として自分でも驚くほどの共感を呼び起こさせられました。当然書かれていることと同じではありませんが、似たような状況は心覚えがあり、ここまで個別の事象で読み手の体験を想起させる文章が書けるのかと讃嘆の念しかおぼえませんでした。


 例えば責任者が目標とするチームの在り方。

 もしあのまま話を聞き入れて、相手の気持ちに寄り添ったうえ、冒険譚をまともに受けとめるようなことをしていたら、本人は神秘の国から生還したのだと自分でも思い込んでしまうだろう。だが、ひとを怖がらせる唯一のものが神秘なのだ。誰もが暗闇の井戸の底に降り、また昇ってきて、べつに何もなかったよと言えるようでなければならない。
       (夜間飛行(光文社古典新訳文庫)(Kindleの位置No.681-685))

 奇跡はなく、出来ることを出来るように行うのがプロフェッショナルということで。


 例えば夜勤のひそやかな空気。

 リヴィエールは営業部のオフィスの扉を開けた。部屋の隅に灯りがひとつともされて、そこだけが明るい砂浜のようだった。タイプライターが一台、かしゃかしゃと音をたてて沈黙に意味を与えていたが、それも室内の空虚を満たすほどではなかった。ときおり電話のベルが空気を震わせると夜勤の事務員が立ち上がり、かなしげに鳴りつづける執拗な呼び出し音にむかって歩いていく。
        (夜間飛行(光文社古典新訳文庫)(Kindleの位置No.486-490))

 闇に沈む職場と、そこで少人数で働く者同士の何とも言えないシンパシーが澱む描写は、ちょっとびっくりするぐらい夜勤の雰囲気を捉えていました。


 そして、どうしようもない災厄に対し、ちょっとした判断のミスでにっちもさっちも行かなくなる焦燥。

大声で叫んでくれさえしたら、いまのファビアンはどんな助言にでも従ったろう。「旋回しろといわれたら僕は旋回する。まっすぐ南といわれてもそうする……」。
     (夜間飛行(光文社古典新訳文庫)(Kindleの位置No.947-949))

 しかし、事が起こってしまった瞬間には誰も助けてくれず、自分が自分で選んで行くしかなく。出来ることをして、破滅と知りながら向かっていくのは身が震える恐さがありました。

 
 素晴らしい職業小説であり、人が人として動くのを上手く書いているからこそ、その人の感受性を通して描かれる自然描写――飛行機から見る空と海と地の描写――も痺れました。
 とりわけあの最期――雲を超えた空のなにもない美しさと恐ろしさ。それは文章でなければ表現できないものでしたし、この作者でしか表現できないひとときであったと思います。 


 以上。素晴らしい小説でした。

 

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