サクラノ詩 雑感

 芸術家と芸術を扱い、創っていくことが生きることになった人間たちの人生を通して、どう生きるかの模索を描いている作品かなと思います。
 目指すべき道筋はふとしたときに振り返って「素晴らしき日々――It's a Wonderful Life!」と気づくような行き方であり、気づける時があると幸せだし、その時にはとっておきの酒を空けて一杯やろうぜ、と。
 どう生きるかに形を持たせようとしたとき、本作の主人公はたった一つの1を生み出し続ける人間になれなかった/ならなかったのは自然だったのかなと思います。
 劇中において、究極の美の具現化能力を持ち、たた一つの1を生み出す化け物として描かれる稟というヒロインから問われます。

【稟】「草薙くん……私から質問して良いかな?」
【直哉】「なんだ?」
【稟】「草薙くんには神様はいないの?」

 神様――何を信じ、何を生み出すのかの根源。
 だらりと生きていくのもまた人生であるけれども、たとえ何であろうとも創り出す創造主となることを選んだ人間は自覚的にならざるを得ないのでしょう。衝動を形にするとはそういうことで、そうでなくては生み出せない。自覚した時に根源の要求に応えられるような己の腕であるかはまた別の話でもあり、本作の一つのテーマでもあるのですが、ここでは置いておきましょう。
 答えは答えになっていないようなもので、問答ではなく、主人公の歩みによって主人公の"神様"はプレイヤの理解に至ります。作中で主人公を理解する人間にとっては戦慄するような在り方と描かれるのですが、プレイヤの評価と作中の評価が一致し、最終的に実を結ぶ震撼のシンクロは甘美でした。
 0から振り絞って1を生み出すオリジナリティの才能はないにせよ、主人公は彼自身であるからこそ芳醇なものを生み出していくのでした。
 草薙健一郎に相対し、愛する者の死を胸に咲き誇る桜として描いた傑作から塵へと還る流れを造ったように。
 氷川里奈の、少女が達した死の美学に生を吹き込んだように。
 静止した壁画を天の理で動的にしたように。


 天をまぶしく見上げるのを止め、 地に還った過去に拘るのを止め、戻るべき家を持つ彼はきっと自らの因果をようやく正しい形で自覚したのでしょう。主人公の人生にひと段落がついた時、サクラノ詩は一旦の幕を下ろします。
 ――そこから人生も続いていき、眩しく仰ぎ見ない天からは見下ろす視線がありました。 
 そう、必ずいつか互いに辿り着く。

【稟】「まだ、なおくんの中で炎は燃え続けている……」
【稟】「だから、私は行かなければならない……」

 絶対の美の芸術家と。

【直哉】「稟によろしく伝えてくれ。俺は此処にいると……」

 櫻の芸術家と。
 彼らの交錯で生まれる作品と、そこまでに至る時間≒作品のプレイ時間と――何もかもひっくるめた人生の輝きを想像するだけでも心の踊りが止まりません。
 それに『美術部と教会の絵』――ミニチュアではあるものの2周循環し終わった物語の今後には、3周目にせよまだ見ぬ先があるべきで。
 え、何が言いたいかと言えば、まあ、続編まだーと言う結論でこの雑文の終わりとしておきましょう。


 以上。そこそこでした。見事に完結したら愛すべき作品になるかなとは思います。

  • Link

 OHP-ケロweb