火刑法廷 【新訳版】 雑感

 言わずもがなのミステリの古典的名作の新訳版。
 だいたい15年ぐらい前に旧訳を読んで以来の再読となったのですが、記憶にある文章よりもかなり読みやすくなっていました。読み飛ばしてしまったふいんきや些細な描写も頭に入り、本作をもう2・3歩理解出来たんじゃないかと思えます。
 というのも、中学生時代に名著『夜明けの睡魔』を片手にミステリを読み漁っていた時期があります。『火刑法廷』に関して論理がアクロバティック過ぎて何が凄いか判らない云々という凄い褒め方をしていて、もうこれは読むしかと、本屋で『皇帝のかぎ煙草入れ』『帽子収集狂事件』と一緒に買ってもらい、わくてかしながら読み進めました。が、アホだったせいが多々あるでしょうが、今一つピンと来ず、どこが凄いのかにゃーふにゃんという感じでした。あとは『皇帝のかぎ煙草入れ』の方が小説として好きだなあぐらいの理解だった気がします。
 しかしそれ以来の再読にして、読みやすい新訳ということで、凄さがちょっとだけ解ったような気になった次第です。


 さて。
 1929年、重症胃腸炎で亡くなった筈の当主は実は毒殺された――という事件を扱った本作の謎の大きなものは以下になります。


 ・家政婦が目撃した、死亡した人物と二人きりで密室にいた古い服装を着た女性は誰で、どこに消えたのか。
 ・霊廟の中の木の棺から死体はどこに消えたか。
 ・毒殺を目論んだ犯人は誰なのか。


 ここに隣人として関わっていただけの筈の雑誌編集者の妻の謎が物語に濃い影をなげかけます。
 事件に関わっていない訳がないのに、どう関わるのか半分以上過ぎるまでさっぱりわからず、その上に、超自然が頭をもたげるような謎。
 曰く――、約70年前にギロチンにかけられた毒殺魔に妻の外見が酷似しているのはなぜか?
 

 殺人事件が黒魔術、幽霊、魔女、不死者というゴシック小説のロジックで彩られ、事件の関係者たちは謎を解明するため喋くるうちに、何が何だかわからなくなっていきます。
 現代的な刑事が乗りだしてさえ、【死者が蘇って揺り椅子に座っていた】という何じゃそりゃあという痛烈な謎が提示されます。
 え、やっぱり超自然なのか――と異様なオチに思い悩みが絶頂に至るとき、奇怪な作家が関わりだし、ようようと物語の方向性は奇跡の解体へと進んでいきます。

 
 ここからが凄かった。
 まず妻の謎が解かれるのですが、度肝を抜かれました。
 細かい謎、
 ――妻が時折浮かべる謎めいた顔は何か。
 ――毒殺魔は漏斗で水拷問を受けたことがあるが、何故妻は異様に漏斗状のものを怖がるのか。
 それらが呆気なく解き明かされます。
 いやもう、今までの怪奇の雰囲気って何だったんかいなという、ほんとたちの悪いイカサマをみた気分で、ぼんやりとしてしまうことしょうがない真相でした。


 そのうえで最後の謎解きが始まる前に、探偵役の奇妙な人物は重ねてこう断言します。

「魔術は持ち出すな」クロスは強い調子で言った。「高貴な黒魔術を、今回のようないかさまと混同して貶めないでもらおう。これは殺人ですぞ! 殺人です。なかなかうまく演出されていて、裏にはしっかりした美意識があるのかもしれないが、考案者は気弱で不器用だし、最高にうまくいったところも、たんなる偶然だ」
                        (火刑法廷〔新訳版〕(Kindleの位置No.3649-3652).)

 まさにその通りで。
 奇蹟的な、怪奇的な事件は、あまりにも綺麗に矮小な動機によって起こった偶然へと収まっていきます。
 


 ――ああ、本当に?
 



 個人的に感じた本作の凄さは「ここから」の流れにありました。
 伝奇要素をロジックに取りこんで、トリックとしても使い、矮小な現実的な事件へと落とし込みながら、よくもマア、最後ふいにそう向けるものだと感嘆しました。
 今となってはどちらとも取れるミステリ小説はさして珍しくはありませんが、黄金期にこのような作品をよく書けたものです。加えて、その意図通り、作品を仕立て上げているのですから、流石です。


 以上。予想以上に再読を楽しめました。解釈は異なるかもしれませんが、瀬戸川さんの感嘆した目線に少しでも追いつけていたら、それ以上の喜びはありません。

  • Link