「安徳天皇漂海記」の続編或いは外伝である本作は、王たちの物語となっていて、4編のうち3章の王が亡国するラストエンペラーとなっています。
つまりこれは亡国の物語。
そして王たちが最後に見た景色の再現でもありました。
王らが見たもの、王らが得たもの、王らが得られなかったもの、王らが失ったもの――亡国に寄り添っていたのがマルコ・ポーロが密かにジパングの奇跡を語った「驚異の書」と琥珀のような混沌だった、というのが「安徳天皇漂海記」から続く奇想となっています。
それでは章ごとに少々語っていきます。
- 『北帰茫茫――元朝篇』
元の最後の皇帝トゴン・テムルの物語。最初に、亡国が近い無人の玉座でトゴン・テムルに三つの自問をさせる所から始まります。
私はどこから来たのか
私は何者であるのか。
私はどこに行くのか。
(P14)
トゴン・テムルは出自が怪しまれている上に、漢の教育を受けてモンゴルの皇帝になったことで自己認識的にも文化的にも中途半端なままに終始します。ただあるのは皇帝であるということだけ。傀儡になっても、国が傾いても、皇帝であることだけには執拗にしがみつきます。たとえ衰朝の暗君と自覚していても、何者であるか、という答えにはなるから。
そうして何もかも中途半端なまま、誰も望まないまま皇帝であり続けてしまった暗愚の王だからこそ、そして明賊が迫り来て国が滅びかけているからこそ、混沌の琥珀の意味に気付いてしまうというのが上手いところでした。王の終わり・国の終わりに相対する琥珀の混沌さの弥増しになっているのと同時に、新しい国である明への呪いともなっていました。
そして得た、私はどこに行くのかへの答え。
その答えこそが題名となっています。具体的な台詞と描写の美しさは味わっていただきたい。
- 南海放浪――明初篇
これは他の短編とは一味違って、明の盛期に行われた宝船艦隊の鄭和を視点人物としています。その視点から明を盛り立てた皇帝・朱棣を描いています。また宝船艦隊は「驚異の書」と琥珀のおさめ場所――ジパングを求めるものでもあったという目的を盛り込んでいます。
良い時代を書いているにも関わらず、実の所王は何も得られなかったし、臣下は王の求めるものを見つけられなかったということになっていて、暗鬱な色合いが強くなっています。鄭和が年老いて次の世代に伝える際に、元の後始末でもあったと告げることくだりで、歴史が繋がっていくなあという感慨を得ました。
- 紫城落陽――明末篇
前の短編で宝船艦隊の終焉により示唆された明の黄昏が進み、明に幕が閉じようとする時代を書いています。
亡国の皇帝の名は崇禎帝。彼が目のあたりにするのは、臣下を疑うことで余計に臣下を失っていき、策は全て愚策となり、ひたすらに国が傾いていくどうしようもない有様でした。追い詰められ、娘を切り、崇禎帝は縊死するのですが、まず闇に真紅の落陽を見させるあたりにぞくぞくきました。それでここにおいてとうとう「驚異の書」と琥珀の神秘の力が発揮され、歴史の逸話の一つ――崇禎帝の娘・長平公主は何故左腕に傷を負ったのみで一命をとりとめたのかに繋がります。
しかしこの亡国の明の末裔を救った神秘をもって、清を打ち立てた偉大なる皇帝・ドルゴンは「驚異の書」と琥珀という神秘は役目を終えたと決めます。
「思えば、三百年近くも続いた帝国が滅びたのだ。不思議はあろう。驚くべきこともあるであろう」
(P195)
しかし、これからは別の時代を作るのだ、と。「驚異の書」と琥珀を明に象徴することで、新たな王の、それまでとは全く異なる思想が持ち込まれた大きな変換の一瞬を鮮やかにしていました。ここにおいて『北帰茫茫』でのトゴン・テムルによる明はどのような答えを出すのだろうという問いに繋がり、明と共に神秘は終焉を迎えることになりました。
こんな感じにここまでの3編によって、元-明-清の転換は「驚異の書」と琥珀によって繋がっていたんだよ!という伝奇小説らしい大ボラが吹かれます。
文章が滅茶苦茶格好良く硬筆なこともあり、のめり込んで読んでしまいました。
- 大海絶歌――隠岐篇
そして最後は舞台を日本へと戻します。
本篇の亡国の王は安徳天皇の弟――後鳥羽院。幾たびかの反乱の末に隠岐の島に流されて幽閉されています。
後鳥羽院はふとしたことで琥珀を手にし、琥珀の海において、安徳天皇に抱かれた源実朝の首に出会います。そのことで、歌の才は大いに認めていながらも己の欲――今一度天を頂く――のために呪殺してしまった怖れが噴出します。そして改めて、源実朝死後から初めて『金槐和歌集』を読み返すことで、一つの和歌にめぐり合います。
大海の磯もとどろに寄する波破れて砕けて裂けて散るかも
大海を三十一文字に封じ込めた源実朝にしか歌えなかった歌。
後鳥羽院は源実朝に応えるために、その歌に対して歌合を行おうとします。しかしどんなに艱難辛苦しても応えることは出来ず、囲まれた海で惑います。惑った果てに海で出した答えとその幻想的な風景の素晴らしさは、それはそれは「安徳天皇漂海記」の見事な、終止符でした。
- まとめ
以上。だらだらと語ってしまいましたが、めっぽう面白い伝奇小説なのでお薦めです。
- Link
- 参考Link
・北帰茫茫
元 (王朝) - Wikipedia
トゴン・テムル - Wikipedia
HERMES-IR : Research & Education Resources: 歴史と民族の創生 : 17世紀モンゴル編年史における民族的アイデンティティの形成
・南海放浪
鄭和 - Wikipedia
特集:明の鄭和の大遠征 2005年7月号 ナショナルジオグラフィック NATIONAL GEOGRAPHIC.JP
・紫城落陽
明 - Wikipedia
崇禎帝 - Wikipedia
清 - Wikipedia