左頬に黒い痣がある少年、桶屋風太。
額に十字の傷がある少女、石神鉱子。
二人は七つの生――古代、戦国時代、超未来etc――で必ず出会う運命にあった。そして最新の生/現代において、その輪廻を終えるため、鉱子は風太を殺そうとする。
何故殺そうとし、何がこれまでの転生で起きたのかを描く輪廻転生ファンタジー。
この作者の前の作品『惑星のさみだれ』がオールタイムベスト級に好きであるため、kindleでセールをしていたので一気に購入していました。
読み始めてみたら読むのが止まらず。出来は問うのが野暮と言うものです。
面白かったです。そりゃもう、べらぼうに。
展開のおおよそは風太が輪廻の生を1回ごと思い出していく作り。
フォン。時代は古代、生贄が捧げられる儀式で引き裂かれた少年と少女の物語。
ヴァン。時代は中世、魔女を殺した際に受けた呪いで勘当された元騎士と拾った孤児との物語。
フロウ。時代は古代エジプト、スフィンクスを作った老技師の物語。
方太朗。時代は江戸時代、家督争いと幕府によるお取り潰しに巻き込まれた研師と、取り潰しの尖兵たるくノ一との殺し合いの物語。
ラファル。時代は超未来、亡くなる前に脳が保管される搭の管理人の物語。
それぞれは直接の繋がりはないのですが、時間や関係性を飛び越え、友人や家族の輪廻転生体との奇妙な縁や、朧な記憶によって、玉突きにような影響が起こります。そうした輪廻の繰り返しの最中、ちょっとした会話や酒の酌み交わしによって、抑えきれぬ悔いや確かに幸せだった瞬間が昇華していく手腕は見事の一言。
誰もかもが精一杯生きていく登場人物らがその生の極限で心動かされるのを目の当たりにするのに感動しない筈がなく。彼らが笑って、泣いて、生きていったのを読んで大事に思うようになります。
確かに以前の輪廻が在り、繰り返した今はその続きで、だからこそかつての因縁で怨讐を誓う――と言う最新の輪廻の現代だと還ってきます。
この作品の輪廻の扱い方の巧いところがここであり、メインキャラクタのどんどんと繰り出される前世への対応のコンフリクトが物語を先へと動かす駆動力になっています。
まだ前世に目覚めていなかった風太は鉱子を漠然と好きになり、前世を知ったからこそ因縁に目覚めていきます。
前世に目覚めていた鉱子は因縁から風太を殺そうとしますが、人となりを知ると好ましく思うジレンマに陥ります。
――その解決?
本作は最初からこう宣言されていました。
(第1巻、P18)
きみがきみ自身であること、今此処にいること。
繋がりを強調し、前世がたとえあっても、今その瞬間がかけがえのないものなのだ、という思想で貫かれていました。
だから応えは推して知るべし。
かつて輪廻で起きた悲劇を繰り返すような、やわな強度をしている訳がありません。
『惑星のさみだれ』でもそうでしたが、人間賛歌として極めて良く出来ているかと。
思想だけではつまらないですが、ガジェット・プロットの畳み方は凄いです。
これまで縦横無尽に散らべた要素を最後に至るまで鮮やかに組み立てます。そこでこうくるかーという感嘆は快感でした。
以上。傑作でした。読むのに手ごろな長さですし、超お薦め。
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- 以下ネタバレ
個人的に唸ったのは二つ。
一つは上述した『きみはきみ自身であること』。現在の肯定。
もう一つは『悲しいことなんて何も起きていない』。悲劇の否定。
(第6巻、P184)
長い、永い時の果て。現在で起きたことと言えば、美少女の転校生と出会い、いがみ合い、双子の弟妹が生まれ、転校生と仲良くなった――というありきたりのどこにでもある物語でした。
いやあ、これぞ有限と微小の美かと。