本物の徳川家康が関ヶ原の合戦の最中に暗殺された。影武者・二郎三郎が代わりに本物として采を振り、何とか勝利へと持ち込んだ。以後、影武者だった男の徳川家康として生きる戦いが始まった――
徳川家康が死んで影武者が代替したという大きなifを前提にして史実を講釈した時代小説。
道々の者の意志を汲むいくさ人である影武者・二郎三郎が徳川家康としてどのような太平の世を夢見たのか。
西軍の敗将として密かに生き残った島左近が影武者徳川家康とどう繋って豊臣家と徳川家をどう取り持とうとしたのか。
跡継ぎにして性残忍たる秀忠が影武者徳川家康をどう操って自らの望む徳川家の支配する世を作り出そうとしたのか。
それぞれの思惑が入り組み、歴史を作り上げていきます。
自分の小説を読む目的を単純化すれば、「面白い小説を読みたい」となります。そして、この小説を読んでいる時にその欲望は大いに満たされていました。
途方もなく、面白い小説でした。
頁をめくるたびに、これでもか、これでもか、と言わんばかりに心震わす展開が待ち受けている――その快楽に耽る悦びよ快なるかな。
影武者を本物として祭りあげようとする試みが演技する本人も側近の誰もかもが上手くいくか判らない茫洋とした出だし。
しかし主役を張る男たちが己が望む世を確固として定め、それを現実にしようとした時に起こる衝突。
彼は自由な都市を夢見たし、彼は支配する主を夢見た。
――つまりは、徳川家康と秀忠との長きに渡る表面化の戦いへと雪崩れ込む。
そのいくさがなんとまあ長きに渡ったことか。
武将の見事な策謀が繰り広げられ、短気や損気に足をすくわれ、忍者対忍者の影物の凄惨な死が重なり、時には柳生対柳生の剣の道の戦いともなる、と手を変え品を変えて進んで行くため、読者として飽きることなくそのいくさに付き従うことが出来ました。
その内に、影武者徳川家康の、島左近の、彼らを守る者たちの見事な在り方に、彼らへと肩入れすることになります。
彼らの望む太平の世が訪れて欲しい、と。
でも私たちは知っています。
作者は最初から謳っています。
歴史は既に定まっています。
そうはならなかった、と。
では、どのようにして、夢が崩れるのか。爽快な男たちの意図がくじけるのか。
そう水を向けられ、物語が閉じていくにあたり、小説として凄みを増していきました。
最後の一行に至るまで、そこに籠められていく感情に胸を打たれます。諦観に彩られた一本木で流れるように落ちていくのではない、ぶれながら、ゆれながら、足掻いていく生き方は本当に愛おしかったのです。
最後の宴を読むにあたって、これは自分にとって最高の本だと心に決めた次第です。
以上。人生のベスト10に入るオールタイムベストの傑作でした。
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