オービタル・クラウド 上・下 雑感

 流れ星の発生を予測するwebサイト<メテオ・ニュース>の創始者・和海は手計算でイランから打ち上げられた人工衛星サフィール3>の軌道がアメリカの発表したものとずれていることを予測した。
 インド洋の孤島に天文ファン・オジーが設立した私設天文台反射望遠鏡人工衛星サフィール3>の異常な現象を観測した。
 それは地球環境を激変させうる計画の一端であり、北朝鮮のエンジニア・スパイ、アメリカのCIA・軍隊、民間宇宙開発のパイオニアの富豪、イランの孤独な天才科学者が入り乱れ、衛星軌道上のそれぞれの未来をかけた攻防が地表で始まる――
 

 という感じのSF長編小説。第35回日本SF大賞受賞作ということですが、納得の快作でした。


 ある理論とその理論を元にした現象。ある現象とその現象をデータに落とし込む観測。観測データを理解し、周囲に言語で理解を伝達する。その理解を元に現象に対処する。
 現象を利用してカタストロフィを起こそうとするグループと、カタストロフィを起こさせないようにするグループにわかれた丁々発止によって、一連の流れがダイナミックに連続します。
 カットバック方式でそれぞれの視点からしかわからない情報がこぎみ良く書かれ、次第に統合されていき、何が起こっているか理解するようになる小説の作りも内容に合っていました。
 これぞフィクションによる知的な興奮だという、SFとしての醍醐味を存分に味わえました。
 

 例えば、英語圏のインターネットにアクセスできずコンピュータもましなのを使えない世界の片隅で、科学者・ジャムシェドが独力で推進剤を用いずに軌道上の物体を移動させる理論を打ち立てて論文化しました。その5年後、軌道上に謎の物体が現れます。
 日本のサービスなのでアクセスで来た<メテオ・ニュース>にあるその物体の移動情報を鉛筆と紙で計算してみれば――自分の理論を誰かがブラッシュアップし現実化した産物だと知ります。

 ゴミ箱に丸めて捨ててあった紙を伸ばして製図台に載せ、マグネットでとめる。隣の研究室にまだ紙のストックがあっただろうか、と考えながらフリーハンドで四重の円を描き、十字の直線で区切り、メモ帳に並ぶ方位角と高度角を小さなバツ印でプロットしていく。
 皺と格闘しながらプロットを続けていくジャムシェドを既視感が襲った。
 次の点はここじゃないか? 当たりだ。その次は……二つの点が手を取り合うように円を描いている。円の微妙な揺らぎも過去に実験したときに見た振動と同じものだ。
「俺の……。俺の"スペース・テザー"だ。なんで軌道を飛んでるんだ」
      (オービタル・クラウド上(ハヤカワ文庫JA)(Kindleの位置No.596-1601))

 この流れがまず興奮します。手計算による革新的な理論ってロマンでしかありませんし、世界の誰にもわからなかったことを手計算で一早く察知したのもロマンの塊です。
 そして再発見してからの科学者の行動――自分の理論の産物であるという周知と、論文の欠点を補い現実化してくれた名も知れぬ誰かに対する素直な賞賛と自らの劣悪な環境への複雑な感情もまた無理がありません。
 そこから和海が、ひいては世界/アメリカが孤独な天才科学者の存在を知り、一緒に問題解決に当たりながら、「劣悪な環境で革新的な理論を打ち立てたが、一般的な技術とPCよって理論への理解が後発者に容易に追い抜かれていく」のをどう扱うかという流れになっていきます。この当たり前と言えば当たり前だけど悲しいを正面きって扱い、きちんとフィクションの面白さに落とし込んでいるのも感服しましたね。
 こういうロマンとその限界、先にある論理だった未知へ――というのはほんと個人的なツボです。

 
 あとテクノロジーオープンソースベンチャーへの賛歌。
 東急ハンズで購入した材料で革新的な理論の実践のミニチュアを作る。
 ホテルのスイートルームを保温シート・ニクロム線で覆い暗室と化し、でかいホワイトボードを持ち込み、LANケーブルがのたうつ基盤で軌道情報を解析をする。
 webで生でおかれた軌道情報とか、大本になった理論の扱い方とか。
 パイオニア精神を持つ富豪が飛躍しようとする若者を枷になら無いように援助するとか。
 いや、もうこういうの大好き、とにやにやするしかないかと。


 文章が平易で読みやすく、また伝えたいイメージを判りやすくすることに心を砕いているのを大いに評価したいです。
 作品内でもありますが、世界を変えるのは難度の高いものを生み出す存在かもしれませんが、世界を動かすのは把握能力と伝達能力が優れている存在なのかもしれません。
 

 まだまだこの作品に関しては語り足りないところもありますが、長くなるのでこのへんで。


 以上。お薦めの逸品です。

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