私的DCシリーズ騙語

 八柾上京OFFでお勧めエロゲ3本を披露したのですが、その時に自分がDCシリーズの何処を好きか言語化でき無かったので文章化してみました。いずれ語りたいDC論の根幹となりますが、ちょいと妄想気味なので格納します。
 

 DCの世界の大前提として無作為に願いを叶えるフィールドが設定されている。初代では天然の、2では人工によるという差があり、叶えられる質にも差が出ている。そこにはオリジナルと続編という関係の美しい比喩となりえている。


 大きな事故も凶悪な犯罪もない楽園めいた島で、繰り返しと名付けられた物語は繰り返すことで停滞することはない。
 Circus HomePageを見るまでも無くDCシリーズは無印では終わらず移植が繰り返され、また加えて必ず多数のSSが現在進行形で生み出されており、非難されることが多い。しかしSSで形成された絆が無印に組み込まれ新たなる本編となるダイナミズムは芳醇な歴史へと繋がっている。ここで無印とSSとは理想的な相互作用を起こしている。


 明確なルールと可逆的な時間との中で、登場人物は常に試されることになる。希望が聞き届けられない願いの成就(ルール)と、便利なだけではない魔法(登場人物自身)と、人間に極めて近く模されたロボット(人間自身)とに。そして試しとなるこれらの要素にも当然歴史が宿っている。シナリオは問いに四苦八苦して答えていくことになり、延いてはその答えがフィードバックされ、世界の確立に繋がっている。


 だからこそ1つを取り出せば部分部分が交差するに過ぎないミクロなシナリオが多数語られることで、マクロなDCという在り方が遠くで徐々に像を結んで顕わになっていっていると言えるのではないだろうか。


 一瞬一瞬の切り取りであるのは他の作品群と変わらないにも関わらず、情報の蓄積の仕方が稀有な作品であるDCシリーズは私を掴んで放さない。