ギルティクラウン ロストクリスマス 雑感

 最初に『ギルティクラウン』について簡単に触れておきましょう。2029年12月24日に感染すると身体が結晶化していくアポカリプスウイルスがパンデミックを起こした。その<ロストクリスマス>以降、日本は無政府状態になり、GHQ下で統治を受けることになった。それから10年、アポカリプスウイルスの解析により人から未知の物質<ヴォイド>を引き出す能力<王の能力>が3人の少年に宿り、物語が始まる――という具合のジュブナイルSFバトルのオリジナルアニメです。詳細は本編アニメを観て、OHPなどを参照のこと。
 それで本作は題名通り「ギルティクラウン」の始まりの悲劇<ロストクリスマス>の或る一つの舞台裏を描いています。
 時間的には2日のみ。『失敗作』の右手以外は何もかもを無くした青年の目覚めの日と、終わりの<ロストクリスマス>と。確かにここに繰り広げられる時間は青年の物語です。

スクルージ
 そうだ。死神の男よ。
 それがお前の名前だ。
 これはきっとお前の物語だ。

 そして先ずは青年に戦う武器――物語を繰り広げられる力を。
 次に戦う目的を問い、真逆の選択肢が出現します。どちらかを選ばなくてはなりません。
 しかし――未来は既に語られていて、何をどうあがこうとAnother endなどなく、過去は決められた終わりへと向かっていきます。だからこそ、こう高らかに告げられます。

 お前の選択は、すべて無意味である。

 これから選んでいく選択は結末を変えない、と。だから意味など無い。・・・・・・・・・・・・・・・・・・本当に? そう惑いながら、進めていくことになります。『失敗作』ながら触れた物を結晶化しヴォイドを引き出す能力は有る青年が不思議な少女と共に、始めに決めた目的に則り、逃避行を続けていくのを読んでいくのです。
 確かに。確かに相反する選択肢が時折出現するのですが、どう選ぼうとも、起こるイベントは同じです。死んだ人は死ぬし、敵は嫌々/嬉々としても殺すのに変わりありません。ただただ答えにある意味反映されない選択するという行為を積み重ねていきます。
 ・・・・・・本当に、この行為に意味はないのか。
 記憶を無くして今だけを生きながら、『失敗作』として死にたくない、先を潰されたくないという慟哭を導く行為に意味は無いのか。
 この問いかけの群を語弊ありつつ纏めれば、『進化と淘汰』となります。
 このテーマはガジェットの面でも谺しています。『失敗作』ならではの異常な進化――青年の右手は一度壊されたら終わりの<ヴォイド>は少女から何度でも常に違う武器の形で取り出します。つまり敵わず壊されるたびに新しい方法を模索し、進化と淘汰を繰り返します。――言葉を反復するまでもなく、異常であり、進化と淘汰の果てに判明するのは――
 同時に。
 ミクロなガジェット範囲でカタストロフィを迎えるにあたり、どうしようもない淘汰に向かってしまっていたストーリーも佳境を迎えさせます。そこでもまた選択肢。意味があるかないか判断する材料は揃っています。
 一つは前述した右手の異能。具体的には言いませんが、そう、とどのつまりであり、――意味など無い。
 一つは未来への物語とのすれ違い。<ロストクリスマス>の始まりの場所で、『ギルティクラウン』の主人公たちとすれ違います。何も無い失敗作の青年は忘れられても確かに未来へと種を残しました。

「淘汰されたくなければ、戦え」

「俺たちは淘汰される者に葬送の歌を送り続ける。
 ――故に葬儀社」

 その種も花は咲かせませんが――彼からまた最後に残る未来へと受け継がれます。――意味は有る。
 意味は無いと判るカタルシスと、意味は有ると知るカタルシス
 だから最後の選択は意味を測れと強いた世界への答えに他ならず、当然の答えの一つ"生を全うする"軌跡の描き方を測るのは彼と彼女しかいません。何が起こるのかは、見てのお楽しみと言うことで。


 さて、ぐだぐだ言ってきましたが、本筋はさして難しいものではありません。
 ちょいと短いですが、鋼屋ジン節によるテンポの良い活劇を思う存分楽しめます。エスカレーションしていき何が飛び出すか判らない武器による、強敵との戦いに浸れば良し。布→輪→槍とかもう、脳汁が湧き出る戦闘シーンでした。
 戦闘のエフェクトは『魔法使いの夜』後として十分な動きでして、華々しい文章に更なる彩りを加えます。特にロケットの雨をかいくぐる当たりは白眉であり、一見の価値が有るでしょう。


 以上。ギルクラにはぴんとこない私でしたが十二分に楽しめました。鋼屋作品が好きなら買いかと。

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 OHP-ギルティクラウン ロストクリスマス