確かに本格野球物でした。
エースにはエースらしい球威と球種とスタミナがあり、取り柄のないバッターもバットを振るからには何かが起こる可能性があり、怪物なバッターは怪物なりの長短所があり、人天地全てが絡み合う一球一球一打席一打席をきちんと書いていました。
だからこそ、冒頭で明らかにされる完全試合になりかけの過程よりも、相手を打ち崩そうとするようなアクション―リアクションのある攻撃側の方が面白くなっていました。何を考えてどう打とうとして、相手の考えを推測して、結果として打たれるのか、抑えたのか、そして守ったのか守れなかったのか――その攻防が野球な訳で。
しかし勿論、完全試合をいかにして継続したかも考えられていて、悪くはありませんでした。
また野球の試合を書く手法も考えられていました。野球マンガの基本的な手法――試合に参加してない他校/OBの選手たちの観客席からの思いを書くのは、『花咲くオトメの嬉遊曲』でも用いられていましたが、進化していました
『花咲く』では淡々と投球と打撃を描いた試合描写の裏で、観客席にいた卓越したバッターがとある選手の選球眼に絶句し、隣にいるスポーツライターの素朴な感銘との対比でその選球眼の凄さを出していました(同時に絶句しえた選手の並々ならぬ力量も!
本作ではそこまで技術的な切磋はありません。というか技術自体に関して言えば、メインの視点人物である真っ当な強打者の捕手によって分析して語られています。しかも全国の決勝です。改めて野球の技術論で解体して語り直すべく理由はありません。
だから観客席から語られるのは心理です。他校のお嬢様学校からOBまでの複数の観客の視点を用いて、多種多様な同視化をなしていました。素晴らしい投球を羨む投手の、他山の石の、完全試合を守る選手の。
この二つのやり方で試合の強度は確固たるものになっていました。
引っ括めて言えば野球の面白さが伝わってきますよ!、ということで。
百合に関して。最後の方のバレンタインが超キュートでしたが、逆に良いと感じたのはそこぐらいでした。許婚関連がわざとでしょうが恐ろしく薄かったせいで、二人の少女の恋の全体像を見るとやや納得行かないものになっていました。ここらへんは、もう少し長く書かれた方が良かったかなと思います。が、作品の長さと完成度を見るとまとまっているので蛇足になったのかもしれません。
文章は何時もよりけれんみが足りませんでしたが、読みやすくなっていたので良し悪しあるでしょう。気になったのは短文を重ねている割に読点が多い点です。その為に文章の見栄えがいまひとつでした。これは読む側の趣味でしょうが。
そうそう。P235の絵は樺作品には珍しいと感じました。あそこは常の樺作品なら文章描写で済ますはずなのに、光景を描写した絵を入れるとは驚きです。しかもミスリーディングを助長する方向の絵とは。意図したとしたら次の作品でまたどう仕掛けるのか期待出来ます。
以上。野球小説好きにお薦めの1冊です。
以下妄言。
せりにミッキー・テトルトンの影を見たのですが如何。
- Link