わがままちえちゃん 感想

 中学生になったばかりの少女"さほ"は自分以外に見えない幽霊の少女"ちえ"と友達になった。
 "ちえ"は記憶を失っており身元が不明だったが、"さほ"は両親から同じ名前の姉がいたと語られ、次第に真実が明らかになっていく――


 ノンジャンルの単巻完結の漫画。
 前評判を特に調べずセールしていた時に志村貴子さんの本だしーと購入し、時間が空いた時に何気なく読み始めたのですが、驚愕しました。
 絶対面白いものを読むと身構えていたら兎も角、本当にさらっと読むつもりだったので、無防備にとんでもないものをガツンと食らってしまったのです。
 あまりにも認識操作がキレキレの傑作でした。

 (No.9)

 繰り返しになりますが、そう始まったのは確かです。
 ”ちほ”は幽霊で、"さほ"にしか見えない、と。
 だけれども、ページを捲るにつれて、"ちえ"が幽霊? いやいや実は全く違って――と今度は"ちえ"が語り手となります。
 そして"ちえ"がまるっきり異なる"ちえ"と"さほ"の関係を述べます。”ちえ”の思慮と配慮のなかった子供時代の残酷な言動と、思い返して語って想起されるやり場のない悔いと嘆き。それらの空虚で痛切な想いと言葉に対して、物語のメインとなるものなのだと読者は租借していくことになります。
 だが。
 だがしかし、その”ちえ”の語りもまた、錯誤と欺瞞に満ちていた――と信頼のならない語りと語り手が連続する構造が露わになり、もうぶん回される一方になりました。
 今の台詞が、今の絵が、そしてこれまでの独白が、これまでの絵が"正しい"のかと読んでいて揺らぎに揺らぎます。そうした漫画だからこそ描写可能であった主観の歪みに満ち満ちて定かなものが見当たらないなかで翻弄されていきます。
 その混乱を踏み超えて、そう表現される表層ではなく、なぜそう表現するのかを含めて、"ちえ"という少女の在り方に最終的に対峙することになります。
 ここで重要なのは『人』で『真実』なのではない――というのが、ここまで見事に印象操作して中心となる過去の事実を上手く隠してきた上においても主体が全くぶれず、痺れるところでした。それまで読んできたように、何が起きたかではなく、何故そう考えてそう言葉を並べたのかが最後まで突き詰められる――"ちえ"自身が自らの思考を残酷なまでに切開していくのです。
 だから真実が明らかになってちゃんちゃんと――物語は綺麗に閉じません。"ちえ"が今の時点でどう解釈したのかを持って、彼女の未来に開いていきます。それで良かったですし、そうでなくてはなかったのでしょう。


 以上。お気に入りの一作になりました。


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