儚い羊たちの祝宴 雑感

 米澤穂信によるミステリ短編集。それぞれ独立した短編なのですが、ある程度フォーマットは共通しています。
 どの短編も良家の使用人あるいはお嬢様が視点人物であり、華美な館で起きた事件・惨劇について述べられています。
 家々は歴史ある旧家から成り上がりまでそれぞれであり直接的な関わりはありませんが、緩い繋がりとしてお嬢様たちは良家の子らが集って読書会を開く大学サークル『バベルの会』に属しているという共通点があります。
 視点になるにせよ、使用人の立場から語られるにせよ、家の為にとなれと言われ続けて窮屈に育ったお嬢様方は使用人から教えられて低俗な本――ミステリに出会い、面白い本を読む楽しみを知ってしまい、ある種の救いを得ることになります。

「ふだんはごく当たり前の顔をして勉学に勤しみ、家に戻れば期待された役割を万全に果たす。ですが心の底に、ほとんど致命的なまでに夢想家の自分を抱えている。バベルの会には、そうした者が集まってくる」
「逃避のために物語を読んでいる、ということですか」
「あるいは。しかし逃避よりも、物語的な膜を通じて現実に向き合うことの方が、多いでしょう。ただの偶然を探偵小説のように味わい、何でもない事故にも猟奇を見出すのです」
 (儚い羊たちの祝宴新潮文庫)(Kindleの位置No.3081-3086).)

 厳密な親や祖母に隠れ読むミステリが密やかな救いであるお嬢様という存在――。
 或いは、お嬢様にミステリを持ってくるような、理解がありお嬢様に使える使用人――。
 そういった特殊な環境を巧く作り上げて事件/破局を起こすのですが、浮世離れ具合が巧いからこそ浮世離れした動機/ロジックを美しく成り立たせ得ていました。
 何でそうなるか感情的には理解を拒むけれど、確かにそうとしか理屈が説明がつかない、と本当にミステリとして褒めるしかない出来かと。
 ―――畢竟、超絶に厭なミステリになっている訳なんですがね。

 そしてイヤな話、イヤな人間を積み重ねてきての、最後の短編に震えました。
 本短編で刃をゆっくりと研ぐように丁寧に提出されるロジック――かの極上の料理は多くの素材を使って極少量の見事な出来栄えのみを主人に提出されるものだ、の射程の見事さよ。
 この短編内だけでも驚きはあるのですが、これまでの事件の数々の総括としてあまりにも残酷で綺麗でした。
 ほら、彼らなりにミステリに淫した殺人犯たちが、ミステリのトリックの模倣として皆殺しにされるミステリなんて――ほんと最高では。
 この最後の短編『儚い羊たちの晩餐』をもって、本小説は傑作になったと考えます。


 そう言えば百合かと言えば・・・主従百合とか殺し愛とかで言えなくもないかなーという感じですが、その線で推すのはちょっと無理筋ではないかと思います。


 以上。大変良い出来でした。黒穂信作品としてはNo.1に上げたいところ。

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