ジャズの名門<グレッグ音楽院>ピアノ科の受験の為に訪米した日本人青年・櫻井脩。
彼の演奏のモットーは『音楽はゲーム』というものであり、ルールに則って演奏すれば心を込めなくても音への感動という目的に達するとしていた。
しかし父親が発明した<パンドラ>という魔性の"楽器"に出会い、同年代の受験者たちと切磋する内に、自らの演奏が問い直されていく。
その音楽院への受験の裏では<アメリカ最後の実験>が進行しており、彼は否応なしに巻き込まれていく――
音楽小説、青春小説、ミステリ、SF――複数のジャンルがごった煮になったエンタメ小説。
瑕疵はありますし、粗削りではありますが、もうやたらめったら面白かったです。
音楽院の受験のために集まった受験生たちには当然のごとくそれぞれの生き方があり、それぞれのわだかまりがあり、それぞれの演奏があります。人生としか形容できないものが音楽として交差し、激突する際に生まれる煌めき。
"幻の谷"を心に秘めてゲームのように演奏してきて、己を偽物と韜晦する青年。彼がいかにして"魔性"を己に取り込み、原風景と再会し、未踏の先へと結実したか。
寿命が短く疾病も多い先住民保留地をサウンドスケープまで考慮してデザインした財団の目的とは。
etc、etc。
全てが304頁に纏められています。
それが信じられない。
あの熱量が、あそこまで折り畳まれるとは。
例えば中盤の山の一つである対決。
主人公と相手とは音楽への情熱を失い偏執だけが残った形骸であるのは似ているようで、その指向する方向は正反対を向いていました。
そうとも、と脩は思う。ぼくは一流ではない。
偽物だ。
そのかわり、徹底的に偽物なんだ。
(P22-23)
一度、リロイ本人に訊ねてみたことがある。
なぜそのような演奏ばかりをするのかと。
「コントロールさ」
リロイは眉一つ動かさずに応えた。
瞬きをするリューイに対し、つまりね、と相手はつづけた。
「演奏一つで人を手中に収め、思うままに客の欲望をコントロールする。音楽とは多かれ少なかれそういうものだろう? 俺は、そのことを隠そうとしないってだけさ」
(P106)
内的な燃料が尽きた人間が、それを補給する方法は二つ。
一つは、他者から距離を置いて一人で考えつづけること。もう一つが、誰か別の人間から奪い取ることだ。リロイと脩の違いは言ってみればこの一点に限られていた。
(P140)
その2人が交互に四小節ずつ引いて一つの音楽を作りながら対峙する熱さといったら、もう。堪らないものがありました。
そうういうぞくぞくするシーンを上げてみればキリがないにも関わらず、振り返ってみればあっと言う間に終わってしまったようなのです。
密度の濃い、得難い読書経験でした。
以上。お気に入りの一冊となりました。
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