死の泉 雑感

 ナチスが作った女性福祉施設<レーベンスボルン>を扱った小説 『死の泉』を和訳した本である――という体裁の小説。
 その上、原作『死の泉』は戦中に<レーベンスボルン>で子供を産んだ女性の手記と、14年後に<レーベンスボルン>で起きた事件を追うことになった男性の手記とを組み合わせたものとなっています。手記内の視点から書かれた描写もまた虚実が入り混じり、その手記を誰が書いたかも諸説交々であり、幾重にも入り組んだ細工のメタ構造でした。


 このメタ構造内における描写の数々は非常に鮮やかです。
 例えば前半の女性の手記において重要な意味を持つ幼少期のおぼろげな記憶。偽である、真ではないとされながらも、記憶が想起される回数が増えるにつれて質感が変わっていきます。
 幼い時の記憶――廃城で歌う双頭の聖職者に牙のペンダントをもらった思い出。

 二人の手は、黒衣を脱ぎ去った。裸体があらわれた。脇腹のところで、老いたからだと若いからだは、溶け合っていた。老いた右手と若い左手が、わたしの首に鎖をかける。先端に獣の牙がさがっている。
 もはや、清らかなソプラノではない。鵞鳥のような声で、双頭の聖職者は歌っている。


   我が命は、汝が死
   汝が死は、我が命
     (死の泉(Kindleの位置No.919-922))

 何故そう記憶しているのか、或いは何故そう記述するのか――が重要になっていきます。


 或いは19歳で意に沿わぬ子供を産み、意に沿わぬ夫に嫁ぎ、意に沿わぬ性行為に身体が屈した先、手記の女性は10歳の子供に懸想します。

「マルガレーテ、ぼくを愛してるよね」
 谷の底に墜ちた者が、必死に救助を求める声であった。裏切らないで。救いあげて。
「愛してるわ」
 口にしたとき、わたしは、一瞬、悖徳の苦みを感じた。
 彼が求めているのは、母の愛、姉の愛であるのに、わたしは、このとき、五つのマルガレーテになって、十のフランツに応えていた。
   (死の泉(Kindleの位置No.1850-1854).)

 にも関わらず、この手記の視点人物である貴女は/わたしは全てを裏切っていきます。その深い、絶望――それを誰が述べたのか。


 或いはナチズムのおぞましい発露と、歪んだ芸術への渇望と。
 ――2体の身体を繋ぎ合わせて片方の生命力を伸ばそうとする技術・パラビオーシス。
 ――子供の声帯の音域を保たせるための去勢。


 或いはナチスの伝説。
 ――隠し財産、地底の王国。


 その他様々な要素も合わさり、信頼のならない語り手しかいないメタ構造のなかで全てが虚実・真偽ないまぜになりながら、『うつくしいもの』を見たいというありきたりな人物の怪物の視点――或いはその醜い模倣で纏め上げられる。
 その全体の作りが露わになる、最後の章のどんでん返しはちょっと類を見ないぐらいに極まっている技でした。
 可読性が高い上に華麗な文章と緻密な構成によるその達成は、本作を完成度の高い絢爛たる小説として成り立たせることになっていたと思います。


 以上。素晴らしい小説でした。

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