倒立する塔の殺人 雑感

 舞台は第二次世界大戦戦時下の日本の女学院。
 「倒立する塔の殺人」と表題され奇特な書き継ぎをされたリレー小説は過去の過ちを暴くものだった。
 防空壕に入らず空爆で亡くなった少女と、人知れず失踪した少女の謎を解くために、2人の少女は物語を読み進める――


 という青春ミステリ。
 YAレーベルで出版された作品ですが、この作者ならではの美意識と狂いの逸脱はほとんど手加減されずに小説全体に充満していました。『倒立』に傾倒させるとあるガジェットが感情の壊れた動機を導く過程と、その動機を解明させるミステリ小説としての手付きは流石の一言。
 ただミステリ小説としての出来栄え以上に、青春小説あるいは女学生小説としての出来に震えました。 
 戦争そして戦時下という異常事態が日常と化した少女たちが友人や家族を呆気なく失い傷ついて、それでも懸命に生きていく生命の輝き。それを描写する言葉はあまりにも綺麗でした。


 例えば空爆される防空壕の中で踊る少女たち。

「べー様、立って」三輪小枝がささやいた。
 めんくらいながら立ち上がると、暗黒の中で、三輪小枝は、わたしの片手を彼女の腰にまわさせた。三輪小枝の片手はわたしの肩に軽く置かれた。
「ソシアル・ダンス? わたし、踊れないわよ」
「リズムに乗って揺れているだけでいいのよ」


  ウイーンの乙女の歌う調べも
  波は優しく響き返す


 爆音が、耳をつんざき、壕の壁が震動した。
 悲鳴も起こらず、コーラスは続いた。
       (倒立する塔の殺人(PHP文芸文庫)(Kindleの位置No.123-127))


 或いは戦時で生み出しされた自然の暗闇の中を歩きながら重唱する3人の美少女。

  すでに陽が落ちていた。夜間の空襲に備え、灯火管制が徹底しており、窓という窓は板戸をあてたり雨戸を閉ざしたりしている。その内側には暗幕がひかれているのだろう、糸ほどの明かるみも漏れていない。天空のおびただしい星が、薄白く密集して銀河をつくり、地上の建物を黒く浮き上がらせていた。敵機がこの空を制した時間があったと信じるのは難しかった。むしろ銀河が仄白い夜空の下で、流浪の民が火を焚き歌い踊る姿のほうが想像しやすかった。わたしは、山毛欅の森の葉隠れに、と歌った。心の中だけのつもりだったが、声に出ていた。宴祝い賑わしや。松明赤く照らしつつ、と、ふたりがいっしょに続けた。
       (倒立する塔の殺人(PHP文芸文庫)(Kindleの位置No.1772-1779).)


 こういったダンスシーンや歌うシーンは随所で出てきます。
 スティーヴン・キングのベストセラーで『ダンスは人生だ』というフレーズが何度か繰り返されましたが、まさにそうで。暗い時代で、物がなく貧していても、どうしようもなく心は躍る、と――。
 そしてこういった女学生たちの生き方が眩しいからこそ、異常な事件が落とす陰の濃さに身が凍るという具合に寒暖の差が読書体験として良い効果を見せていました。
 女学院を卒業し、それぞれの人生を生きていくラストも余韻が完璧。


 以上。良い小説でした。

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