呉論補 「Over Margin、或いは恋心おーばーどらいぶ」

 初出:『恋愛ゲームシナリオライタ論集2 +10人×10説』

  • 1.前回のまとめ

 本論は『30×30』に書きました拙論『Gift cleard,或いは幸せのなり方』(以下前論)の続きとなっています。
 まず前論の内容を振り返ってみましょう。呉(以下敬称略)による企画・シナリオの路線がポップな学園物に変更した(――ようにみえる――)以降の整理を目論み、最初の段階として変更初期の『Gift』『Clear』について触れました。第1に『Gift』の内容を、主人公を情操の育っていない人間とし、想いの具現化“Gift”という設定の下に、ヒロインたちと恋して結ばれる過程に主人公の情操教育を重ねたとまとめました。第2に『Clear』の内容を、主人公を感情のない人間として、目的を感情を入手して幸せになることに、そして幸せとは人を好きになることであると定義した上で、主人公とは違う形でマイノリティであるヒロインたちと結ばれていくのを描いたとまとめました。それでこの2作の共通点は、主人公の情操/感情を喪失させて恋愛成就を目的と化したこと、主人公の情操/感情の喪失と会得の過程をヒロインから隠蔽したことの2点であると抽出しました。
 この既論に『マジスキ』と最新作『Angel Ring』の整理を加えて、『Gift』以降の理解を補完・発展させることを目論んだのが本論となります。

  • 2.概説

 個別について語っていく前に、前論の範囲内でかすりもしなかった『Gift』以降の呉の意図の私なりの大雑把な把握について取り急ぎ述べておくことにします。
 主人公やヒロインといった物語られるキャラクタを形成する因子を物語られない他者との境界とし、語られる存在の重要性を際立たせ、なおかつ主人公がヒロインを形成する因子=境界を越えられるとヒロインと結ばれるように仕向けている――というのが推測した意図となります。
 キャラクタを形成する因子は美少女ゲームの文脈にあり、例えば異世界のお姫様(『マジスキ』のシェーラ)や、学園のアイドル(『Clear』の美姫)といったようにありきたりであるからこそイメージしやすい要素となっています。或いは幼馴染であることや魔女っ子であることなどでヒロインを規定し、ビジュアルで肉付けし、特異なバックボーンを所有させることはありません(*1)。そして美少女ゲームの一般性で他者との境界を作り、マイノリティへと持っていったというのは前論のClearの項目で触れました。この境界形成が絶頂に達したのが『マジスキ』であり、主人公とヒロイン・サブヒロイン以外の他者が台詞を言う際には“名前+モブ”で表記され、サブヒロインの視点文章ではウィンドウで常に“other”と表記されるようになっています(なおヒロインは文字通り“HEROINE”と表記されます)。どれほど主人公に近寄ろうと、“other”とされて物語の中心から弾き出されるのです。
 こうした迂遠ともいえる手続きによって、美少女ゲームの普遍性に個別作品での特権性を確保します。度合いはどうあれ、この手段は『Gift』以降の作品で繰り返されているので意図していると取りました。そして、『Gift』『Clear』では主人公の目的/恋愛の成就を成し遂げられるのとヒロインの境界を越えるのが同時進行で、同時進行を認識出来るのはプレイヤだけで、プレイヤが美少女ゲームの一般的な因子を持って作り上げられた美少女ゲームをプレイすることで作品は完成するというのが前論の結論となっています。
 それでは以降の個別作品の論考において、主人公がヒロインの境界を越えるベクトルにシフトしたことを指摘し、またその意義について語っていきます。

  • 3.マジスキ

 4文字のキャッチーな題名ですが、略す前の名はMarginal skip――意味する所は越境。『何処へ行くの、あの日』の過去を繰り返す薬の名前(*2)を思い出すまでも無く、呉作品ではMarginal=境界という概念をほとんど直接的な名称付けをして取り扱うことが多いです。付け加えるなら、前作『Clear』という題名はヒロインたちをマイノリティとしマジョリティと区別する透明な壁を意味しています。
 『Gift』『Clear』と同じくヒロインの境界を作り上げるのですが、本作では題名で宣言されているようにその境界を超えることに主眼が置かれました。Marginal=空間、時間、人格の壁=境界をskip=超えようとする意思には最早主人公の特異な動機付けさえ必要としませんでした。恋愛が目的という手段を捨てられ、性格上はほぼ特徴のない青年となりました。
 このことでよりノーマルな美少女ゲームに近づき、より彼らの恋愛の動きが判りやすくなっています。ビフレストという超自然の力による空間の移動と時間の移動を経て、ヒロインの境界を越えて主人公とヒロインは恋愛にいたります。境界生成から境界越境に主眼を置く大きな変換でした。
 では境界越境の方法=“恋愛”をメインテーマとする次の作品『Angel Ring』では何をしようとしたのでしょうか?

  • 4.Angel Ring

 本作におけるスーパーナチュラルな設定は“愛天使”という存在の一点のみです。“愛天使”とは恋愛に対してあと一歩踏み出せない人(=足踏みさん)を後押しする存在で、超自然な力は空を飛べることと、足踏みさんを感知できるセンサー(=Angel Ring)を持っていることと、力を失うと鳩になることです。この設定を成り立たせるために、恋愛について学習する天使学校、かみさまなどが配備されています。
 それで本作の主人公・遠海悟はエロゲ好きのオタクなのですが、時に偶然拾った愛天使の助けを借りて周囲の美少女たちと恋愛関係になっていく――というのが大まかな全体像です。
 そしてここまでの作品情報は発売前に流れていました。これを知った時に、上記してきたように『Gift』『Clear』の主人公にとっての恋愛とは何か、『マジスキ』での超自然の要素によるヒロインの境界生成を経て、“とうとう主人公がヒロインの境界を越える原動力たる恋愛とは何か/エロゲにおける恋愛とは何かまで踏み込むのだろうか?”と推測しました。今まで前提であった恋愛を、恋愛を後押しする愛天使の行動を通して、それがどういういうものか意味づけするのではないだろうか、と。打ってつけたように主人公がエロゲ好きということもあり、愛天使の存在とエロゲプレイが後押しするタイミングや状況の把握といったメタ要素としてシンクロするのではないだろか――まで考えました。
 が、杞憂でした。天は落ちてこないから、天なのですね。
 詳しく見ていく前に、本作のシナリオ担当者について言及しましょう。企画は呉、シナリオは呉と尾之上咲太とで執筆されていて、呉担当がミカ・アルステッド・ハイネ、藤井澄佳、遠海佐奈の3人、尾之上担当が周防美鶴、ルキア・ルミナス・スイレン、志木梓の3人となっています(*3)。そして図ったのか、偶々なのか、或いは当然なのか、呉と尾之上のシナリオは3人のヒロインの『恋愛』を書くにおいて見事に対照的になっていました。加えて意外なことに基本となるのはむしろ尾之上担当シナリオになります。“基本”と言いましたが、その意味は“設定の使い方がより自然”という意味です。予想するに、サブシナリオライタの方が設定の使用を大胆にはしないためなのでしょうが、この使用方法の違いによって呉の独自な点が鮮明に浮かび上がってくることが出来たと言えます。
 それではまず尾之上シナリオを説明します。。
 周防美鶴ルート。美鶴は学園の理事長の孫です。このルートの山は二つあります。付き合い出した際のすれ違いと、付き合い出してからの身分の差です。前者は彼女の性格は箱入りに育ったために人との距離感を図りかね、また人に自分の理想を押し付けてしまう独善的な面があることから起こります。美鶴が恋人関係のあるべき姿を悟に押し付け、悟は彼なりに努力しようとするも疲れてしまい、とうとう諍いが起こることになります。

悟「正直に言うとさ……俺、美鶴さんに会うたびにびくびくしてる」
「また何か美鶴さんの気に触るんじゃないか、失望させちゃうんじゃないかって」
「いつか、美鶴さんに会うことが怖くなりそうだ」
美鶴「そんなお話は聞きたくありません。悟さんは理想の殿方なんですよ、ですから……」
「……もっと、わたくしに優しくしてください」
「何からもわたくしを守ってくださるくらい、強くて……たくましくて、凛々しい……」
悟「それ、俺じゃないよ」
 今……俺、ちょっとだけホッとしているんだな。
 ようやく重荷を下ろせた。
 隠し続けていた本音を伝えられたって。
悟「……美鶴さんは本当に俺を見てくれてる?」
美鶴「悟さんを……?」
 俺の質問の意味がわからないというように、美鶴さんは眉間にシワを寄せて……。
 後ずさった、一歩分の距離が物凄く遠く感じだ。
 (『Angel Ring』 美鶴ルート 5月2日)

 ここで悟と美鶴の間に溝が出来かけた時に、ミカが美鶴と話し、美鶴の欠点をわかり易い形で伝えることで彼女自身に省みさせます。

ミカ「サトルがそういう努力をするのは当然? なのに、ミツルはサトルの気持ちを尊重してあげないの?」
「だとしたら、ミツルは誰かが言うことを聞いてくれるのに慣れすぎているんだと思う」
美鶴「言うことを……?」
ミカ「自分の言うことは聞いて当たり前、自分の気持ちに反することを言ったりやったりは許せない」
美鶴「………………………………………」
ミカ「それをされる側の気持ちも考えてあげて、ってこと」
美鶴「それをされる側の……そんなの、わかります……わかるに決まっているでしょう」
ミカ「ん??」
美鶴「同じだというの? 知らず知らずのうちに、わたくしもお爺様と……」
ミカ「……とにかく、自分の気持ちばかりを押し付けるのは恋愛のご法度だから」
「自分のことを知ってもらいたいのと同じくらい、相手のことも知ろうとしてみて」
「そしたら、サトルが一生懸命、美鶴のことを見ようとしてるのに気づくはずだから」
 (『Angel Ring』 美鶴ルート 5月3日)

 そして2人がきちんと結ばれて暫く経ち、2つ目の山がやってきます。それはつりあった家とお見合いをする予定にある――という金持ち系のヒロインのシナリオの殆どに見られる盛り上がりです。当然のように乗り込むわけですが、その過程で愛天使が再び働きました。ミカとルキアの2人が情報を集め未熟ながら計画を練り、彼を学園長に直談判させるために学園長の前に立たせたのです。悟はそれまでうじうじと悩むだけでしたので、正しく定義どおりの踏み出せない人を後押しする働きでした。ここまでの2回の働きを持って、悟と美鶴の恋愛関係の成立が成就します。
 ルキアルート。ルキアは成績だけは首位だったけれども、プライドの高さが災いして、得意なのは机上だけで、実地が上手く行かないタイプです。それで実地が上手く行かないことを悟と反目しながら相談しつつ手伝ってもらい、上手く行くようになり、悟を意識するようになるのですが、自分の恋愛感情には素直になれない――という流れです。ここでミカがルキアを素直にさせるために良い仕事をしました。あまりにもわかり易い方法――ルキアの前で悟にべたべたして対抗意識を高めて恋心を募らせるという方法を取ることで。ルキアはその方法を取られていることを判りながらも、どんどん胸がざわついていきます。実にわかり易いですね。

ルキア「知らなかった。人を想う気持ちって、こんなにも苛立たしくて……不安定なものなのかしら」
 苦しい。
 苦しかった。
 けれど……ふと思った。
 こんな気持ちを知ったことで、わたしはもしかしたら、一つ成長できたのかしら?
 人の心を知ること。
 それこそが、愛天使にとって最も大切なことではなかったの……?
 (『Angel Ring』 ルキアルート 5月9日)

 そして鈍感で、女の子の気持ちがわからない悟にもアプローチします。

悟「……正直、わからない」
「ミカの気持ちがわからない」
ミカ「わからなかったら?」
悟「え?」
ミカ「わからなかったら、知ろうとはしないの?」
悟「…………」
ミカ「それって、すご―く残酷だと思う」
 (『Angel Ring』 ルキアルート 5月9日)

 そしてお膳立てが出来てから後はなし崩しのぐだぐだの恋愛に突入します。確かなのは心を知らなかった愛天使は心を、愛を知り、最高のハッピーエンドを迎えます。
 志木梓はバイト仲間。恋愛を感じさせない友達関係をまず構築するのですが、試しに悟とデートするあたりから話は転がっていきます。キモオタだ!とからかいつつ、悟に可愛い可愛いと直球に攻められ、メロメロになっていきます。

梓「あたしを女の子扱いなんて、しなくていいの―っ!」
 (『Angel Ring』 梓ルート 4月25日)

 ここで愛天使たちは積極的には働きません。何せ互いに練習として踏み込もうとしているのだから、やることと行ったら、他の人に邪魔させないことですね。そして彼と彼女はネチョネチョと正しく恋愛関係にいたりましたとさ。
 ・・・・・・というように、尾之上シナリオでの3人のヒロインのルートでは愛天使が愛天使らしく働き、その場その場の関係を正しく読み取り、良い方向へと進ませていきます。
 しかし、そう、しかし。逆接の言葉によって、呉シナリオを触れなくてはなりません。呉シナリオにおいては愛天使の働きは基本的にマイナスへと動きます。
 遠海佐奈ルート。実妹との近親相姦に悩むシナリオ。出来を度外視して愛天使について言及すると、彼女のルートでは愛天使がきちんと調べもしないまま佐奈の好きな人を勘違いして、引っ掻き回すことになります。好きな人勘違いネタのラブコメはよくあるのですが、新人といえども愛天使という設定とリサーチのまずさかつ思慮の浅さとの乖離がありました。そこが落ちこぼれの所以ではあるのですが。
 藤井澄佳ルート。幼馴染物。何とこれまた愛天使の勘違い系でした。エロゲ趣味の情けない主人公を気にしているから澄佳は恋愛できないのだと喝破し、かき回します。かき回したかったのは判りますが、そこで好きな人の誤認をするのは明らかに無理がありました。対象者の趣味と人となりで目がくらむというのが落ちこぼれの所以というのは判らなくもないのですが。
 ミカルート。落ちこぼれ愛天使を手伝って一人前にさせるうちに……というお約束の展開です。ここでは特に愛天使的な落ち度は披露しません。
 このように尾之上担当シナリオと打って変わって、呉担当シナリオでは落ちこぼれ愛天使たちがマニュアル偏重主義による無能さを露呈することになります。愛天使=恋愛を学習して実際に行わせる存在という設定の下に物語を発生させる場合に、スタンダードに能力を披露させるのが尾之上シナリオであり、まずは挫折するのが呉シナリオと言い換えることも出来ます。企画が呉なのですから、2人の間の一貫した差は恣意的なものなのでしょう。そして設定を提示しながら、別のシナリオライタにスタンダードを提示させておいて、自らは否定する点に呉の特異な感覚を覚えずにおられません。『マジスキ』までの呉の方法論の理解に従えば、主人公が越境する手段=恋愛の他者からの手助けによるチューンナップは余計なお世話となるのは当然だったのかもしれませんが――

  • 5.結語

 『マジスキ』においてヒロインを生成する方法――境界は越えられて、『Angel Ring』においてヒロインの境界を超える手腕――恋愛は一通り揃いました。それらは美少女ゲームにおけるキャラクタ要素、プレイ目的と同義です。
 では次は? ヒロイン側の恋愛する目的が語られるのではないか、と予想しています。『Clear』において感情抜きのヒロインの行動を評価しようとし、『マジスキ』においてヒロインの目的を主人公が踏み越えて助け、『Angel Ring』では恋する女の子の姿を男の子の目から見てきました。つまり、これまでは全て主人公側からです。だから、次はヒロインがヒロインとして解体される番なのではないだろうか、と。


 *1 http://www.moon-stone.jp/gift/g_index.htmlhttp://www.moon-stone.jp/ms06clear/06_index.htmlhttp://www.moon-stone.jp/08majisuki/chara08.htmlを参考のこと
 *2 マージ
 *3 http://www.moon-stone.jp/ms10/interview/in_chara.htmlを参考のこと。