2010年夏にお薦めする小説:海外小説3冊

 題名に偽り大ありで別にこの夏でなくてはならないわけではありません。単純に語りたくなったので順不同で大好きな小説について語ってみることにします。それだけでは縛りがないので、取り敢えずはSF、ファンタジー、ノンジャンルから1冊ずつ選ぶこととしました。どれも読み応えがあるので、腰を据えて読むことをお薦めします。
 なおチョイスがちょい古いっすが、当方現代っ子なのでよろしくどうぞ。
 また下2作は書影がなかったために自分で撮影しました。

  • 天の声

 小熊座に輻射点を持つ規則的なニュートリノの信号の意味や目的、そして何が放ったのかを調べる〈マスターズ・ヴォイス計画〉に携わった学者集団の中のとある数学者の手記という体裁を取っています。序文に置いてまず明晰に語られるのは自己について――天才性・数学能力・何者かへの怒りであり、人類についての考察――種の代表としての不完全さです。そして表明されます。

 以下に述べる異常な事件は、人類には属さない生物が暗黒の宇宙に送り出したものに人類が遭遇したという点に尽きる。この人類史上最初の事態は、その接触においてわれわれの側を代表したのがだれであったかを、許されている以上に詳細に明らかにするのは、おそらく事がいささか重大過ぎる。いやんや、その接触が毒の入った果実をもたらしたのではないとするには、私の天才的な才能や数学をもってしても不十分であるのだから、なおさらだ。
 (スタニスワフ・レム コレクション『天の声・枯草熱』P26)

 つまりある種の一風変わったファーストコンタクト物であり、コンタクトした対象があまりにも未知過ぎたというのがおおよそ語られる所です。
 この未知の情報を解析しようと多くの学者たちが挑む過程が考えうる限りのロジカルかつシニカルな筆致で書かれています。これが読んでいてむちゃくちゃ面白い。
 新たなる発見は意味があるのかないのかさえ判らず、発見の質を判別していき、それを元に立てられる多くの仮説。最先端の科学のトライアンドエラーであり、或いは砂上の楼閣のようでもあり、その捕らえ所のなさを徹頭徹尾明晰に表せるのは凄いとしか言い様がありません。研究の余波の考察――感情の自由設定、宇宙の裂け目などなどの小ネタも楽しく、読むたびに発見があります。
 仮説をこねくり回す小説が好きなら必ず気にいると思います。カップリングの『枯草熱』も妙ちくりんな小説なので合わせてどうぞ。
 

天の声・枯草熱 (スタニスワフ・レム コレクション)
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  • 黎明の王 白昼の女王

 三部構成になっていて、1部の舞台はアイルランドであり、妖精に憧れる夢見る少女の日記や聞き取り記録、精神分析で成り立っています。
 日記から判るのは少女は憧れていた妖精に――しかし眼が暗い空間に置き換わったおぞましい妖精に――森で出会ったと述べていること。聞き取りから判ることは周囲の人物は彼女が情緒不安定であると受け取り、誰も妖精を信じていないこと。“精神分析”――分析される対象はもちろん妖精と出会った少女であり、学者は彼女の心の幼さ・傷を明らかにし、聞き取った情報を整理します。
 妖精の実在/どちらが正しいのかは最後まで朧気にされるのですが、少女の日記の迫真性と分析不能の証拠からほぼ確定していて、妖精或いは妖精が住む世界という幻想的な存在は暗い雰囲気をまとっていきます。
 そして最後の録音の書き下ろしにおいて彼女の痕跡が語られます。その描写の異様さは、それまでの異常と思われた少女の内面――現実/幻想と、正常の判断をする周囲の理解――誤解/現実との齟齬の完璧なる発露でした。

 だれにもわかりゃしないさ。だれもあの娘の身になにが起こったのかわかるはずがない。わかるもんか。
 (P159)

 しかし、これだけならダークファンタジーっぽいケルト妖精物です。ここからが凄い。
 何故か現代社会で刀――しかも村正を八双に構えてチャンチャンバラバラするエンターテイメントへと吹っ飛びます。繰り返しますが、現代社会での幻想的なケルトファンタジーを見事に達成した第1部からあらぬ方へと飛躍します。
 当然妖精と関連していくんですが、ケルトっぽさと剣術娯楽物的なノリとの相性の悪さはありえないぐらい酷いのですが、しかしどちらもとんでもなくレベルが高く、しかも物語として現代社会との融合が完璧になされていて、その落ち着きの悪ささえも読み応えに繋がっていました。
 要はごちゃごちゃ言わずにアンバランスさを飲み込んで、滅法面白がれば良い傑作です。


 

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  • ドクターズ

 隣合わせの家で育った幼馴染の少年少女がだんだん成長していき、ハーヴァード医科大学院に入学して医師となるのを単に描いた小説です。これがまた非常に面白い。特に大学院を卒業するまでを描いた(上)は青春小説の大傑作です。
 幼馴染二人の成長における幸せな出会いの幼少期、バスケと恋愛ごとに明け暮れるハイスクール期は簡単に書かれるのですがそこだけでも充分上手いエピソードとなっています。例えば戦争から戦傷兵として帰ってきた父親の前で遊ぶシーン。

 それから、三人でかわるがわるシュートしたあと、ローラはハルロドに言った。「ねえ、おじさんも一緒にやらない? そうすれば、四人でハーフコートの試合ができるわ」
「せっかくだけどねえ、ローラ、おじさんはすこし疲れているんだ。ちょっと昼寝でもしたほうがよさそうだ」
 一瞬、バーニーの顔に失望が浮かんだ。
 ローラはバーニーの顔をちらりと見て、その気持を察した。
 バーニーはゆっくりと彼女のほうを向き、ふたりの視線が合った。そのとき以来、ふたりは、おたがいにおたがいの心が読めることを知った
 (P37-38)

 他にも諸々に何気ない描写で細部が巧みに描かれていました。
 しかし医科大学院での生活と比べると分が悪いというか、医科大学院での勉強と勉強と勉強と(大事なことなので3回言いました)友情と恋愛などの描写は出色の出来でした。地獄の暗記をする生化学、医学部ならではの解剖学などなどの勉強することへの学生の苦難と解放された乱痴気騒ぎ。同学年の生徒の豊かなバックボーン。ひっついたり離れたりを繰り返す恋愛。何もかもが輝いていました。これぞ、これこそが青春だと叫びたい。その中でメインの二人が近すぎて、互いに切っても切り離せない存在となってしまったからこそ、恋愛にはならないというのがもどかしいやら、なんやら。
 そして長い長い学生生活も終わり、最大の難関を越え医師となり、訪れる卒業の時。《ヒポクラテスの誓い》の結辞と共に彼らは医師として巣立っていきます。
 それからの話はやや陰の濃い話となり、また最後のオチが斜め上にとんぼ返りするのですが、読んでからのお楽しみということで。
 取り敢えずは上だけでもどうぞ。青春小説の傑作です。もちろん全体を通しても、二人の男女の物語としてよく出来ています。


 

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  • まとめ

 以上。実りのある読書生活の一端を担えたら幸いです。